初代・天下人は三好長慶だった!? 放送再開の『麒麟がくる』のこれからを楽しむポイント
2020年09月05日 公開 2022年06月30日 更新
将軍暗殺は松永久秀の息子?
現世において多くの者が、義輝暗殺の首謀者を松永久秀と心得てきた。されど研究が重ねられ、久秀は家督を譲り息子の久通が主導したと考える者が増えた。
久秀は当時大和国から出ておらぬという証言もあり、書状からも将軍暗殺には関与していない、または消極的であったようじゃ。まさに、今回の22話ではそのように描いていた。
三好三人衆(三好長慶に代わり実権を握った三好一族とその家臣を指す)と久通が事を起こす、これが次回の『麒麟がくる』23話での展開となるであろう。
『麒麟がくる』で、梟雄(きょうゆう)として名を馳せ人気を博した松永久秀の人物像も随分と変ると思うぞ?
上洛の命令を既読無視の大名達
上杉、武田、毛利、朝倉といった有名大名達は将軍義輝の号令に従わなかった。その原因を作ったのは将軍自らである。
これまでの『麒麟がくる』でも散々描かれてきたが、大名達に名前の一字を与える、官職を与えるといった対応をしてきた。
大名達は自らの土地を守る事が優先。「幕府と繋がってますよ」と周りに報せ、戦を回避する手段を取ってきた。
しかし、同様の方法で幕府にお金を出して対応してもらう者が多く、結果立場は同等となり、戦が起きる。領土を守る必要がある故に、国を留守にできない、上洛はできない。
このような負の流れができてしまう。こうして郷土を離れることができず、上洛できる人間がいない中、なぜ、信長は上洛できたのか?冒頭に案内した清州同盟により、家康に背後を任せれたからじゃ。
これを正直に守った家康もすごい。殆どは主が居ない隙に攻撃をするからな。信長は土地に恵まれたのも然り、人にも恵まれたのだ。
その頃の松平元康には感動の物語が!
今回、登場していない松平元康こと徳川家康について。4年の間に、家康は義輝に馬を献上して、今川家からの独立を認めてもらった。念願の領土三河を奪還して、清州城を訪れ織田信長と同盟を結び、そして、母と再会。
ドラマには描かれていなかったが、幼くして人質となり母にも会えなかった家康の心中を描いて欲しかったのう。1563年には、家康の嫡男と信長の娘が婚約。
まだ幼子ながら、政治に利用される。ドラマとしては信長に子供おったの?という反響が大きかったが信長は子沢山! その辺り、ドラマでは時間の都合で描く余裕がないようであった。