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筒井順慶と茶器が予感させる「松永久秀の最期」… 『麒麟がくる』が描く“梟雄の行く末”

前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

2020年10月24日 公開 2022年08月15日 更新

 

「現場監督・信長」による二条城の突貫工事とは

信長を描く上で重要となるのが政のスピード感。城の築城にてそれを描いておった。他にも「美濃へは2日で帰れる」という発言に、光秀が驚く反応をしておった。

二条城築城は、僅か2月で築城するという異例の早さをドラマで表現しておった。実際に総動員数、2万5千人が関わった突貫工事。

織田家の城は突貫工事が多く、完成させたのは石垣等の普請(土木)までとも聞く。建物は、後にゆっくり完成させる。信長にとって、「城は普請ができていれば城として機能する」と考えておった。

ドラマでは、築城現場に信長自ら参っておったが、これは誠で史実にも残っている。

この時に、信長はルイスフロイスと対面しておる!それを感じさせるために、信長の装いを南蛮生地にしたのであろう。実際、信長は現場監督として鍬(くわ)を持参し、座れるように汚れても良い粗末な恰好であったそうじゃ。

 

織田信長にも信仰心があった?

ドラマには描かれなかったが、働き手が仕事をサボり、女子にうつつを抜かしたため、信長が手打ちにしたという事件が起きておる。

他にも、石仏や墓などを石垣に用いた事件。これを「転用石」と申すが、後に光秀が福知山城を築城する時にも、転用石を使用した。今回の場面は、福知山城築城の伏線ではないかと考える。

信仰心が無かったわけではなく、白山信仰の描写を弟・信勝が共にいた場面でも描いておる。

ドラマでも祟りを恐れない信長の描き方があったが、当時として異常であったのは間違いない。

義昭が、「父や兄の様に思っておる」という台詞があった。義昭が石仏に気付かなかったのは、良い演出であった。

 

変わりゆく足利義昭…織田信長との関係はいかに?

前回までの義昭は、金子を見ても「これだけあれば民が幸せになれる」という目線であったが、自分の城を見て、敵であった三好を追い払った信長に心酔しているように見える。

支配権力欲が増して、皆が印象を持つ足利義昭の姿を出しつつある。義昭の視点が変わったことを伝えるため、あえて遠目からの映像で描いておった。この事件を、延暦寺焼き討ちへの伏線としたのもドラマとして見所であった。

そして今後は信長や光秀の心情の変化のきっかけが、これから見所となる。

幕府対織田という構図の作り方も良かった。光秀が奉公衆となり、見栄えもだいぶ変化して出世と立場の表現を衣装から伝えるのも楽しめ申した。

第29回「摂津晴門の計略」も共に楽しもうぞ!それでは、さらばじゃ。

【参考文献】
『大河ドラマガイド 麒麟がくる後編』(NHK大河ドラマ・ガイド)
『信長公記』
『完訳フロイス日本史』(松田毅一・川崎桃太 [訳]、中公文庫)
『戦国武将の茶の湯』(桑田忠親[著]、宮帯出版社)
『信長 聖地巡礼手帖』(谷口克広[著]、世界文化社)

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