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江戸は「本所竪川」ぶらぶら歴史散歩

畠山健二(作家)

2020年10月28日 公開

 

東京大空襲、そして忠臣蔵

一之橋
一之橋。古地図には「一ツ目之橋」とある。六ツ目之橋まで架けられたが、五と六は江戸時代に取り外された

今と昔の地図を比べると、道や川はほぼ変わらないが、建造物は、ほとんど残ってないことがわかる。

明治以降の都市改造や関東大震災の被害もあるだろうが、最も大きな原因は東京大空襲だろう。子どもの頃に土地の人が、「竪川は特にひどかった。犠牲者の遺体が積み重なっていた」と話して聞かせてくれたものだ。墨田区だけで六万人以上の死傷者が出たという。

それゆえ竪川というと、地元の人間にとっては悲しい歴史を思わずにはいられないが、本所にはその他にも、歴史の舞台となった場所が数多く点在している。

竪川近辺でまず挙げられるのは、「忠臣蔵」の舞台となった吉良上野介義央の邸宅跡だろう。現在は、本所松坂町公園になっている。堀部安兵衛が偽名で開いたという道場も、竪川南岸にあった。吉良邸からわずか一キロ。安兵衛は歩いて十分ほどの近場に潜伏し、様子をうかがっていたというわけだ。

その距離を実際に歩いてみると、改めて胸に響くものがある。当時の建物はなくとも、道や川の位置は変わっていない。江戸時代の人々と同じ感覚を、共有しているような気がしてくるのだ。

 

歴史舞台が幾層にも重なる

竪川の近くにあるのは、忠臣蔵の舞台だけではない。幕末の勝海舟の生まれた場所も、すぐ近くの本所亀沢町にあった。両国公園には、生誕の地の碑が建っている。

そもそも亀沢町の名前は、海舟の父・小吉の実家・男谷家の屋敷にあった亀沢の池にちなむそうだが、海舟はこの地で七つまで育ち、近くの入江町に引っ越して、23歳まで過ごしたという。

入江町と聞いてピンと来る人も多いだろう。『鬼平犯科帳』の鬼平のモデルになった長谷川平蔵宣以の屋敷があった場所だ。小説の中で青春時代の平蔵は、「入江町の銕」と呼ばれていた。鬼平のゆかりの場所が、そこかしこにある本所には、聖地巡礼というのか、鬼平ファンが訪れている。

手前味噌だが、拙著「本所おけら長屋」シリーズも本所が舞台だ。実は、前述の亀沢町に「おけら長屋」があることにしている。ありがたいことに、おけら長屋の読者も、聖地巡礼をしてくれているらしい。

コロナ禍の今は、遠方へ旅するのは難しい。しかし意外と知らない近場の名所をじっくりと歩くのには、いい機会ではなかろうか。

我が「下町」本所は、東京人にとってのそんな場所かもしれない。派手な観光地ではないから、三密も避けられるはずだ。

幾層にも重なる江戸と東京の今昔を、しみじみと思うにはもってこいではないだろうか。

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