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日本の文明とは「群島文明」である

小倉紀蔵(京都大学大学院人間・環境学研究科教授)

2020年11月18日 公開 2024年12月16日 更新

 

梅棹忠夫が「第一地域」と呼んだ日本の群島性

フランスのヴァレリーやデリダは、ヨーロッパを「岬」といいました(ジャック・デリダ『他の岬』みすず書房、1993)。つまりヨーロッパ自体がそもそも大陸性と群島性のせめぎあいの地なのです。そのなかでも群島性を典型的に打ち出した哲学者は、さきほど述べたヒューム、ニーチェなどです。

かつて梅棹忠夫は、画期的な「文明の生態史観」を提唱しました。これの骨子は、次のようなものです。

ユーラシア大陸は、東西の周辺部である「第一地域」(西ヨーロッパおよび日本)と、中央に位置する「第二地域」(中国・インド・ロシア・イスラーム)とに分けることができると彼はいいます。この文明論が発表された時点では、第一地域でのみ、近代化と産業化が達成されていました。

これはなぜなのか。

梅棹の考えによれば、第一地域は封建制を経験した地域であり、歴史が主として共同体の内部からの力によって展開しました。これをオートジェニック(自成的)なサクセッションといいます。

それに対して、第二地域では、歴史はむしろ共同体外部からの力によって動かされることが多いのです。文化が自成的ではなく、よそから伝播してきて、そのつど自分たちの王朝が交替したり異民族に支配されたりします。これをアロジェニック(他成的)なサクセッションといいます。

梅棹文明論の是非をここで問いたいのではなく、梅棹が「第一地域」と呼んだ日本が群島であり、西ヨーロッパという「岬」はまさに大陸と群島のせめぎあいの地域である、ということが重要なのです。

大陸文明は、普遍主義・理念主義・本質主義・超越主義などを基盤とせざるをえない傾向を持ちます。

陸続きで侵略や略奪が横行し、革命や政変が伝播しやすく、政権を維持するためにもそれを打倒するためにも、超越的な神・理念・価値を絶対的に必要とするのです。

なぜなら、梅棹文明論でいえば、第二地域(ユーラシア内陸部)は「建設と破壊のたえざるくりかえし」なのです。ここでは、Aという文化とBという文化が頻繁に激突しますが、AとBを超越するメタのレベルの抽象的な存在、つまり神や超越的理念・価値というものが生まれると、それがヘゲモニーを掌握するのです。

その超越性のもとで、AやBが排除されたり支配されたりするのです。AやBが素朴に実在することが許されにくいともいえます。ここが、群島文明との違いです。群島文明は大陸文明を排除するのではありません。包摂し、相対化するのです。

その日本が、大陸文明的な演繹性・理念性・超越性に自己を同一化させてしまうとどうなるか。

わたしたちは戦前の日本にその姿を見ることができます。絶対的な権力と権威が合体し、国民を一律的・理念的にすみずみまで統御するような全体主義は、この国の歴史上はじめて1930年代から1945年まで続きました。

この悲惨な記憶を日本人は絶対に忘れないでしょう。日本という群島文明に、巨大な使命感を持って演繹的・統合的な大陸文明を性急に導入しようとしたことによる失敗だったのです。

 

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