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日本の文明とは「群島文明」である

小倉紀蔵(京都大学大学院人間・環境学研究科教授)

2020年11月18日 公開 2024年12月16日 更新

日本の文明とは「群島文明」である

東アジア思想の研究家である小倉紀蔵氏は、日本の文明は群島文明であると述べる。群島から成り立つ日本は、大陸である中国の巨大な文明圏と向き合いつつ、自らの群島性に基づいて文明を育んでいった。群島文明とはいったい何なのか。

※小倉紀蔵『群島の文明と大陸の文明』より一部抜粋・編集したものです。

 

群島文明は、帰納的思考、経験主義、反超越主義……

ここでは群島文明というものを、思想的・哲学的に理解してみたいと思います。それは帰納的(反演繹的)思考、経験主義(反理念・反理性主義)、そして反超越主義……などによって規定されるものです。

日本社会にはこれらが顕著に認められます。ですが、これは日本に特殊なものではありません。たとえば、これらの特徴をヨーロッパでもっとも強く持っているのはイギリスだと思います。典型的なのはスコットランドの哲学者・歴史家であったデイビッド・ヒュームです。

彼は「人間は知覚の束である」といって大陸的な理性的人間観を否定し、また因果関係というものはなく、われわれが因果関係だと思っているものは慣習にすぎない、といいました。

大陸合理論の正反対の立場にあるわけです。そしてこの群島的世界観が、ドイツのカントを哲学的に刺戟したり、ニーチェに継承されたりしました。

日本人の世界観も、これに似ています。

伝統的に、中国の大陸文明的な演繹的・理念的な性善説(それは日常語として使われる俗流「性善説」とは異なり、きわめて厳格主義的なゴリゴリの道徳哲学である朱子学において完成されました)を完全には受け入れなかったことも、そのためなのです。

これをわたしは「群島文明」という言葉でとらえたいと考えています。ただ、これは決して「文明の決定論」ではありません。

ある文明が原理的に確固たるものとして存在し、わたしたちはそれにがんじがらめになってしまう、ということではないのです。「群島」に固有で本質的な文明が不動・不変のものとしてあるのでもありません。

ただ、風土や地政学ということも視野に入れて(そういうものを排除するのではなく)、総合的に日本というものを考えるとき、群島文明としての日本の文明というものを想定することができ、そしてそれの保持・更新・革新こそが、きわめて重要なことだと考えるのです。

群島は、大陸から完全に分離されているのではありません。

大陸の文明を移入しながら、それを島の力で相対化・分解しつつ、風土や文化に合わせて再構成するのです。

このことを踏まえて加藤周一は日本文化を「雑種文化」といい、山本七平は日本には「溶解消化酵素」があるといい、司馬遼太郎は(超越的な理念信仰とは逆の)「合理主義」といいました。

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