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フランス革命から悟る “日本社会”…「身分や階層をなくせるというのは大ウソ」



2021年01月08日 公開

佐藤健志(評論家)

佐藤健志

なぜ、過去を全否定してはいけないのか。それは自国の過去を全否定する誇大妄想や独善から、どれほどのメリットが得られたかを考えればわかる。

革命の指導者たちは、自国の祖先を軽蔑し、同時代人も軽蔑した。彼らは自分たち自身のことも軽蔑するに至り、ついには軽蔑に値する存在になりさがった。

混乱を重ねる日本を理解するためにも、フランス革命の最中に書かれたエドマンド・バークの『フランス革命の省察』は大いに役立つ。その古典の名著を、評論家である佐藤健志氏が最先端、最高峰の名訳で解説する。

※本稿は、エドマンド・バーク著/佐藤健志編著『【新訳】フランス革命の省察 「保守主義の父」かく語りき』(PHP文庫)の内容を一部抜粋・編集したものです。

 

国家には保守と継承の精神が必要

「革新」に憧れる精神とは、たいがい身勝手で近視眼的なものである。おのれの祖先を振り返ろうとしない者が、子孫のことまで考えに入れるはずがない。

イギリス人は、自由や権利を相続財産のように見なせば、「前の世代から受け継いだ自由や権利を大事にしなければならない」という保守の発想と、「われわれの自由や権利を、次の世代にちゃんと受け継がせなければならない」という継承の発想が生まれることをわきまえていた。

そしてこれらは、「自由や権利を、いっそう望ましい形にしたうえで受け継がせたい」という、進歩向上の発想とも完全に共存しうる。

この方法論は、新たな自由や権利を獲得する余地を十分に残す一方で、いったん獲得されたものが安定的に存続することも保障する。社会の秩序であれ国民の権利であれ、世代を超えて続いてゆくものとして扱うのが、大自然のあり方にならったわが憲法の方針なのだ。

それはちょうど、われわれの個人的な財産、あるいは生命そのものが、世代を超えて受け継がれてゆくのと同じである。

かくして国家は、自然界の秩序と正しく対応しながら存在することになる。ここには「個々の構成要素が有限であるがゆえに、全体としては永遠」という構造が見られよう。

深遠なる自然の英知により、人類にはいくつもの世代が同時に存在し、神秘的なまでに精妙なバランスをつくり上げている。

いかなる時点においても、人類のすべてが老いているとか、壮年だとか、あるいは若いとかいうことはない。衰退と死、再生と成長がたえず繰り返される結果、人類は変わることなく安定した状態を保つのだ。

上記の特徴を国家にあてはめれば、「改革がなされても社会全体が新しいわけではなく、伝統が保守されても社会全体が古いわけではない」状態が達成される。

くだんの原則を踏まえ、柔軟性を持ちつつ祖先につながるのは、時代遅れの迷信に執着することにあらず、「自然になぞらえて国家をつくる」という哲学を重んじることに等しい。

同時にそれは、「相続」の概念を基盤にする点で、国家を家族になぞらえることにもつながる。わが国の憲法は、血縁の絆に基づいたものという性格を帯び、さまざまな基本法も、家族の情愛と切り離しえなくなる。

国家、家庭、伝統、宗教、それらが緊密にかかわり合いながら、ぬくもりに満ちたものとなるのである。

自由を相続財産と見なすことは、ほかにも少なからぬメリットを伴う。過ちを犯しやすく、行きすぎに陥りやすいのが自由の特徴だが、偉大なる先祖の面々が自分の振る舞いをつねに見ていると思えば、これにも責任感や慎重さという歯止めがかかろう。

過去の世代から自由を受け継いだとする姿勢は、われわれの行動におのずから節度と尊厳をもたらす。地位であれ権利であれ、自分一代で獲得した者は、ほとんどが成り上がりの傲慢さに取り憑かれて恥をさらすが、そんなみっともない真似をせずにすむわけだ。わが国の自由は、こうして高貴なものとなる。

年長者や、名門の生まれの者を尊敬するのは、人間として自然な感情に違いない。われわれは国家の諸制度に敬意を払う際にも、同じ原則をあてはめる。長い歴史を持つ制度や、偉大な先祖がつくり上げた制度は重んじられるべし、である。

自由や権利は、観念的な推論ではなく自然な本能を基盤とすべきではないか。小賢しい知恵よりも、胸に染み入る感情を踏まえるのがふさわしい。フランスのインチキなインテリどもがいかに頭をひねろうと、合理的で立派な自由を保持するうえで、これ以上に適切なシステムを考えつくはずはない。

 

フランスに優れた点はないのか?

諸君はわがイギリスを手本とすべきだった。そうすれば、今回の革命で回復された自由にも尊厳が宿ったであろう。

フランスの伝統的な三部会(訳注=聖職者、貴族、平民によって構成された身分制議会。1789年に召集され、革命と前後して国民議会に改編される)は、社会の多様性にうまく対応するものだった。しかもフランスは、この多様性のもとで長年、幸福に統治されてきたのである。

三部会ではさまざまな利害が結びついたり、ぶつかり合ったりしていた。このような作用と反作用のせめぎ合いこそ、自然界においても、また政治の世界においても、相容れない諸勢力がひしめき合う状況の中から、調和を導き出す鍵となる。

いまのフランスでは、社会的な利害対立は望ましくないと見なされているようだ(訳注=国民は社会のあり方を望ましくするための共同の意志を持っているという、プロローグで紹介したシエイエスの主張を想起されたい)。

ならば従来のフランスのあり方にも、現在のわが国のあり方にも重大な問題があるわけだが、利害対立の存在こそ、性急な決断を下したいという誘惑にたいして、健全な歯止めを提供する。

利害対立のもとでは、どんな決定も熟慮に基づいてなされねばならない。したがって物事を変える際にも、妥協がつきまとうことになり、変化は穏やかなものにとどまる。こうやって生じるバランスこそ、「急激で荒っぽい抜本的改革」という悪行を防ぐのだ。

当のバランスのもとでは、王であれ民衆であれ、絶対的な権力を向こう見ずにふるうことができなくなる。さまざまな身分の代表が、独自の利害をもって集まることこそ、自由を保障するのである。身分ごとの見解が異なっていればいるほど、その保障は大きい。

三部会はこれだけの長所を持っていた。にもかかわらず諸君は、あたかもフランスがずっと未開の野蛮国であったかのように、すべてを新しく仕切り直した。

自国のあり方を全面的に否定して改革に走る、これは出発点からして間違っている。元手もないのに商売を始めるようなものではないか。

近年のフランスがパッとしない面々によって治められてきたというのなら、彼らを飛び越し、より古い時代の英雄たちに手本を求めても良かったのだ。

祖先を敬うことは、正しい自尊心を持つことに等しい。そうすれば「解放の年たる一七八九年まで、フランス人は時代の流れに取り残された、卑しい奴隷の集まりだった」などと見なすこともなかっただろう。

今回の革命に際しては、それがフランス人の古来の権利を取り戻すためのものであり(訳注=革命前のフランスでは、百七十年以上にわたって三部会が開かれていなかった)、国家への忠誠や、名誉を重んじる精神を否定するものではない点をハッキリさせるべきであった。

そうすれば、あらゆる国の有識者が、自由を求めた諸君の行動に敬意を表したに違いない。

十分な規律を持ち合わせるとき、自由は法と矛盾するどころか、法を支えるものとなる。このことを証明できれば、専制支配にこだわる連中は世界中で恥じ入ったことだろう。

フランスの民衆は安全な状態のもとで満足し、勤勉に秩序正しく活動できただろう。社会のどんな階層においても、善を重んじれば幸福が見つかることも理解されたと思われる。

人間の真の平等とは、こういった道義性の中に存在する。身分や階層そのものをなくせるなどというのは、途方もない大ウソにすぎない。

こんなウソは、社会の下層で生きねばならない者たちに、間違った考えやむなしい期待を抱かせたあげく、社会的な格差への不満をつのらせるだけである。そしてあらゆる格差や不平等をなくすことは、どんな社会にも不可能なのだ。

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この革命は愚挙である >



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