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細川藤孝と秀吉の密談から裏切りの予感… 『麒麟がくる』が1話で描いた“光秀謀反への3年”

前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

2021年02月06日 公開 2024年12月16日 更新

細川藤孝と秀吉の密談から裏切りの予感… 『麒麟がくる』が1話で描いた“光秀謀反への3年”

《全国にその名を轟かせる「名古屋おもてなし武将隊」。名古屋城に詰め、観光客をもてなす武将と足軽の10人組である。2009年11月、名古屋開府400年のPR大使として名古屋にゆかりの6人の武将と4人の足軽で名古屋おもてなし武将隊が結成、すでに10年以上にわたり活躍を続けている。

そのうちの一人、前田慶次氏は名古屋城検定に検定過去最高点で合格し同検定の名誉顧問を務め、日本城郭検定にも合格するなど歴史への造詣も深い。

前田慶次氏が自身のYouTubeチャンネル「前田慶次5分で戦国時代チャンネル」にてNHK大河ドラマ『麒麟がくる』を徹底解説している。本稿ではその一部を紹介する》

※本稿はYouTubeチャンネル「前田慶次5分で戦国時代チャンネル」にて配信された内容を再構成したものです。

 

本能寺の変へ向けた“緊張感”

大河ドラマ『麒麟がくる』第43話、「闇に光る樹」は本能寺の変を引き起こす一話前の回らしく、心痛むような場面やはらはらした場面もあり緊張感のある放送回であった。

1579年~1582年迄の3年間を凝縮したため、45分では描き切れなかったところもあった。それでは、解説をして参ろうぞ。

 

丹波平定後の織田信長と明智光秀、関係の変化に注目

丹波攻略命令は1575年に下る。その後、約5年という長い年月を持って光秀は丹波平定に成功する。ドラマではナレーションによる説明だけであったが、非常に困難な戦であった。

黒井城城主の赤井家との対決、ドラマにも登場した波多野家の謀反など厳しい局面もあったが、光秀は1579年に念願の丹波平定を成し遂げた。敵だった波多野家は軍門に下るべく安土城へ謁見しに参ったが、織田信長は許さず処刑した。

ドラマでは、「上様は何故このようなことを」と光秀が信長に疑問を投げかけ、信頼が欠け始めていることが見てとれた。“首を塩漬け”は、「美濃編」で信長が家康の父、松平広忠を謀殺した時のことを思い返させる演出となっていた。今回、信長は光秀の活躍を褒め称え、同時に佐久間信盛と羽柴秀吉を叱責した。

本来は書状と言う形で叱責したのだが、ドラマでは光秀の目の前で繰り広げられた。秀吉の奥方、ねねは秀吉の女癖の悪さに嘆いて、それが信長の耳に入り叱りつけた。「秀吉、ねねはお前には勿体ない良い女。しっかりせい!」と手紙を秀吉に送り付けていた。

 

羽柴秀吉と細川藤孝、密談の伏線とは

今まで、接点が感じられない秀吉と細川藤孝が密談する場面が入れられた。これは伏線を匂わせた。本能寺の変のすぐ後に光秀は藤孝を頼ったが、良き返答が貰えず、あっという間に秀吉が光秀の喉元に噛みついた。

恐らく藤孝は一族の命を優先したことに合わせ、世の趨勢を冷静に見て光秀に勝機があると思わなかったのであろう。

盟友と言われる間柄であるにも関わらず、光秀の仲間にならなかった藤孝。陰で暗躍する秀吉と密談させることで、実は「秀吉と裏で糸を引いていた?」と思わせるような場面であった。

その後、藤孝は光秀に「共に信長様へ声をあげよう」と契りを見せる。しかし、結果的に声を上げたのは光秀のみ。藤孝は主君である足利義昭を裏切り、信長に付いた男。光秀は目の前で見ていたにも関わらず、藤孝の事を信用し過ぎことが敗因と言えるのではなかろうか。

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