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諸説ある織田信長と正親町天皇の関係…大河『麒麟がくる』はどう描いたか?



2021年01月23日 公開

前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

名古屋おもてなし武将隊 前田慶次氏

《全国にその名を轟かせる「名古屋おもてなし武将隊」。名古屋城に詰め、観光客をもてなす武将と足軽の10人組である。2009年11月、名古屋開府400年のPR大使として名古屋にゆかりの6人の武将と4人の足軽で名古屋おもてなし武将隊が結成、すでに10年以上にわたり活躍を続けている。

そのうちの一人、前田慶次氏は名古屋城検定に検定過去最高点で合格し同検定の名誉顧問を務め、日本城郭検定にも合格するなど歴史への造詣も深い。

前田慶次氏が自身のYouTubeチャンネル「前田慶次5分で戦国時代チャンネル」にてNHK大河ドラマ『麒麟がくる』を徹底解説している。本稿ではその一部を紹介する》

※本稿はYouTubeチャンネル「前田慶次5分で戦国時代チャンネル」にて配信された内容を再構成したものです。

 

見え隠れする“本能寺の変”の原因

「41回 月にのぼる者」では、光秀と秀吉、光秀と信長、光秀と正規町天皇、と光秀との組み合わせが見所であった。

本能寺の変には様々な原因が考えられ、それを一つずつ積み上げていくような描き方は、最終回がどうなるか、視聴者同様、この前田慶次も気になってしまった。それでは、此度の解説をしてまいるぞ。

 

足利義昭、再登場。信長包囲網と鞆(とも)幕府

久し振りの登場となった、将軍・足利義昭。槙島城の戦いで織田信長に敗れ、京を追放。かつて敵対していた三好家に匿ってもらい若江城へ居を移していた。

それから堺、紀伊国へ移って再び信長包囲網を形成。信長を追い詰めた。1576年に中国地方の大名、毛利輝元を頼り備後国へ、6年間の拠点となる。将軍としての格を保ちながら、各諸将に文を書き続けた。

この備後での政を現世では「鞆幕府」と呼んでいる。ドラマでは文の宛名に「吉川」「平賀」「草刈」(毛利家家臣)の名が在った。これは、まだ毛利家に世話になって間もない事を示していた。

 

羽柴秀吉は何面相?秀吉の“猿芝居”

「麒麟がくる」の秀吉は、変装したりと戦国乱世を生き抜く為に何でもする印象が強い。此度、光秀に平蜘蛛の一件を言上され、秀吉の素顔、心音が出るか?と注目したが、それでも尚猿芝居しておるように見える。

それを許してしまったことが明智光秀の運の尽きにも見えた。秀吉は、自分の足を引っ張る辰吾郎(義理の弟)を抹殺する。この場面、秀吉の心情の全てを描いておった。

童達には銭を撒き、その童からかつての自分を映し出し、「何が何でも生き延びてやる」という恐ろしいほどの生命力を見せつけた。注目すべきは秀吉の衣装であった。

白地の羽織に小袖は色鮮やかな水玉模様。当時としてもお洒落な装いであるが、ドラマの真意は別にあり、秀吉が如何なる人物かを表現した。

白は何色にでも染まる色。どんな人物にもなれる、百面相といった所。その内には何色も使った水玉が施されていた。内側(心)には色々な顔を持つ秀吉がいる事を示す。

信長の前、光秀の前、家臣の前での顔など様々。芝居にも、その面は大きく表現されておった。此度の秀吉は白に身を包んでいたが、儂には真っ黒な装いに見えたのう。

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