コロナショック真っ只中に「不動産」で独立してしまった元日本No.1営業マンの“涙と笑顔の理由”
2021年03月17日 公開 2024年12月16日 更新
2020年の2月頃から日本でも猛威を振るった新型コロナウイルス感染症は、飲食店を始め様々な業界に大打撃を与えることになった。この渦中で、不運なことに独立・起業するタイミングだった人はその後どうなったのか。
本記事では、中古ワンルーム不動産販売業で日本No1のセールスを誇り、2020年2月に満を持して同業にて独立した天田浩平氏にその顛末と不動産業界の動静を取材した。(取材・文:遠山怜)
危機は緊急事態宣言とともにやってきた
「天田さん、正直うちはもうやばいよ。このまま緊急事態宣言が続いたら、もう持たないよ」。電話口でそう話すのは、同じく中古ワンルーム不動産業界で活躍する顔なじみの社長だ。
2020年2月頃から日本にも忍び寄ってきたコロナウイルス感染症は、蔓延当初こそ中国のいち地方で起きた対岸の火事だったが、3月も末頃になるといよいよ日本でも世間の認識に危機感が混じり始めた。そして、4月に緊急事態宣言が発令されると、様相は一変した。
不動産業界に暗い影を落としたのは、何と言っても宣言下における各金融機関の融資制限、操業停止の判断だ。不動産を売れない状態に各社追い込まれていたのだ。
また、金融機関が動かないとあれば、会社自体も商品である不動産の仕入れもできなくなるため、売る商品もいずれは底を付く。仕入れと販売の両輪が止まれば、その先に困窮が待っているのは当然のことだった。
電話の向こうの社長は続ける。「でも天田さんはラッキーだよ。会社は実働はしてなかったんでしょ?ダメージはまだ少ないよ」。事実、私の会社はその年の2月には創業していたが、秋口までは新卒からお世話になっていた会社で社員として営業を続けると決めていたのだ。
仕入れた物件もなければ、給料を支払うべき社員もまだいないため、かかる費用は事務所の家賃程度で済んでいるのは不幸中の幸いだ。
しかし緊急事態宣言が延長され金融機関の引き締めが続くならば、中古ワンルームマンション販売で経営者になる夢は消えるだろう。独立すると会社に宣言した以上、このまま残留することも難しい。
それならばいっそ、事の始末として不動産投資の講師にでもなろうか。自分がこれまで積み上げてきた実績を思えば、それは心が揺れる選択肢だった。
最高の状態で独立したはずだったのに
遡ること3年前である2018年、営業活動の一環でお客様に会うたびにあることを言われていた。「で、天田さんはいつ独立するの?」。
その当時、私は中古ワンルーム不動産販売の営業マンとして業界トップクラスの営業成績を残していた。毎年順調に販売数を増やし、年間100戸程度の販売で頭打ちになっている同僚を尻目に、その3倍を超える366戸売っていたからだ。これが自分の限界だと思っていなかった。
お客様のそうした言葉を真剣に考え始めたのも、その1年後の2019年に自己最高実績である年間387戸の販売記録を達成した頃だった。自分の時間の全てを捧げても、もうこれ以上は難しいだろう。
毎年、前年比と同じくらいの実績を得るだけだ。そう悟ってからはこれ以上前に進もうという気持ちがスッと消えた。この道を前進するだけではなく、違う道を行こう。私は第二章の道を歩み始めることにした。
独立すると会社に申し出ると、内心は反発されるかとも身構えていたが、過去の貢献もあってか最終的には独立を容認してくれることになった。しかも、自分で新規開拓した顧客600人に関してはそのまま引き継いでいいという許しを得られた。
独立を宣言した際のお客様の反応も上々。「絶対独立すると思ってました。応援します」と言われた時には、胸に込み上げてきたものがあった。
今の会社で別の担当者を付けることもできるんですよ、と一か八か念押しして聞いてみた時も、「あなたが良くて買っていたのだから着いていきますよ」と言ってくれたお客様もいた。
実業家・内藤忍氏が協力してくれた影響も大きい。もともと同氏の紹介で多数のお客様を獲得していたこともあり、独立を機に付き合いがなくなれば、独立先での営業に暗雲が立ち込める可能性があった。
もし独立以降は付き合いをしないと言われたら、諦めて大人しく引きさがろうーそう頭の裏でそろばんを静かに弾きながら独立の挨拶に向かうと、彼はあっさりこう言ってくれた。
「私はあなたの所属会社ではなく、天田さんを応援していたんです。独立後もお付き合いさせてください」。
もうこれ以上、最善の独立環境はないだろう。全ては前途洋々、のはずだった。