もしコロナ禍で厚生労働大臣が徳川綱吉だったら…国民に何を呼びかけるのか?
2021年04月02日 公開 2024年12月16日 更新
徳川綱吉、犬屋敷跡(東京都中野区)
もし徳川家康が日本国の総理大臣だったらー。この極めて実験的な試みに挑戦した眞邊明人氏の新刊『もしも徳川家康が総理大臣になったら』。
この小説は、2020年にコロナが大流行した日本。総理官邸でクラスターが発生し、地に堕ちた政治の信頼を取り戻すべく政府がAIとホログラムにより家康だけでなく龍馬や信長、秀吉など錚々たる偉人たちを復活させ最強徳川内閣を作る設定である。
眞邊氏は大日本印刷、吉本興業を経て独立し、政治家のスピーチ指導や、一部上場企業を中心に年間100本近くのビジネス研修、組織改革プロジェクトに携わっている。その知見からコロナ禍に立ち向かう歴史人物のifを描いている。
本稿では同書より、新型コロナウイルスの感染者が急増し、徳川内閣が1か月間のロックダウンを実施した危機的な状況下で、厚生労働大臣・徳川綱吉がどう振る舞うのかを描いた一節を紹介する。
※本稿は、眞邊明人 著『もしも徳川家康が総理大臣になったら』(サンマーク出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
徳川綱吉、“PCR検査”拡充の価値を問う
緊急事態宣言が解除された。
しかし、一律無制限に、というわけではなかった。東京、大阪、名古屋、福岡、北海道の大都市の繁華街の営業時間は22時まで、という制限が設けられ、外国人の入国規制措置は継続された。
また、政府は今後4月1日と同じ新規感染者数を記録するようなことがあった場合、再度 ロックダウンが行われる可能性があることを示唆した。つまり、東京で1日の新規感染者が300人、全国で800人。この数字が基準として国民に浸透した。
国民は再び外出と経済活動に制限がかかることを恐れて、各々が感染対策に注力しながら経済活動を再開させた。
そんな中、異論が巻き起こったのが、感染症対策におけるPCR検査体制であった。 厚生労働大臣の徳川綱吉は、PCR検査の対象をあくまで高熱が続く者だけとしたが、一部の医学博士を中心に「検査を拡充すべき」という意見も多く、議論が巻き起こっていた。
緊急事態宣言が解かれ、ある程度の人の流れが戻ったことによって、感染者の数は少しずつ増えていた。 綱吉は、記者会見を開き、政府の考えを伝えることにした。この記者会見には官房長官である坂本龍馬も出席した。
「たしかにすべての民に検査を受けさせ、病の菌を宿している者をすべて隔離する。それができるのであればそれも良かろう。しかし、まことにできるのか?」 綱吉は居並ぶ取材陣を前に話した。
「まずは、この病には、菌を持っているだけの陽性者と実際に病の症状が出る感染者がおります。この区別は明確につけなければなりませぬ」 綱吉に副大臣である緒方洪庵が続いた。
「陽性者は必ず発症するとは限りませぬ。その者たちまで隔離することになると、その隔離場 所やそれに関わる医療従事者の補充など到底間に合いませぬ。発症者にしっかりとした治療を 施すにはそのための余力を十分に残しておく必要がありまする」
「命を救うには、重症者を一番優先にすることじゃ」 綱吉は語気を強めた。
「しかし、それでは感染を止めることにはならないのではないですか」 取材陣からの質問に綱吉はさらにその語気を強めて反駁した。
「よいか。一旦感染が広まってしまえば、病を完全に封じ込めることはできぬ。病というもの は流行りがあり、その流行りがすぎるまで基本待つしかない。この病との戦いに勝つためには、 持ちうる戦力を有効に使いながら、敵が衰退するのを待つことじゃ。手持ちの戦力には限りが ある。その戦力を有効に使うことこそが軍略じゃ」
「この場合の戦力とは、医師、看護師など医療従事者とその施設、設備を指しまする」
「これはあえてはっきり申しておく。すべての命を救うことはできぬ。病は、この病だけでは ない。すべての病、またはそれ以外でも人は不慮の死を遂げる。それは神でも仏でも救えぬ。
またそれを救えると言うなればそれは驕りじゃ。我らにできることはいかに被害を少なく抑え るかじゃ。そのためには、最も危険なところに戦力を割く。これが我らの方針じゃ」