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社会

“パートナーシップ制度”って実際…? 僕たちが「同性婚訴訟」をする理由

こうぞう

2021年06月24日 公開 2022年06月06日 更新

 

現に存在する不平等を見ないふりしない

ゲイのコミュニティは一枚岩ではないですし、LGBTQの権利を求める活動への関心はレズビアンの人のほうが高かったり、トランスジェンダーの人のほうが生活で困難に直面する割合が高いから、必要に迫られて活動する人が多くいるんですけれども。

ゲイはマイノリティの中のマジョリティだと思います。日本で身体的にも性自認としても男性であるという時点で、ほかのマイノリティよりは力があるというか……生活も仕事もどうにかなりやすいんですよね。

すると、わざわざそんな活動しなくてもって人も多い。男性であることの「既得権益」が、無自覚のうちにも強者であることが、そうさせるんだろうね、とパートナーと話したりします。彼らに「そんなに声を上げなくても」と言われたらそりゃ腹は立つんですけど、彼らを説得するよりも、社会全体が変わるほうが先かなと僕は思ってやっていますね。

「自分たちは充分幸せだからいい」と言う当事者もいます。幸せなのを否定するつもりはないですし、わざわざ水を差すのもなとも思いますが、現実に同性愛者にはさまざまな不平等や不自由があるわけで、それを「自分は幸せだから」と言っちゃうのは違うんじゃないかなと。

同性カップルが式を挙げたという話も、もちろん「おめでとう」なんですが、きちんと説明をしないと「日本でも同性婚できる」と誤解されてしまいかねません。

「幸せだから」で問題を隠してしまいかねないのはモヤモヤしますね。僕がいろいろな活動をしているのは、不幸だからではなく、本来あってしかるべきものをちゃんとしてくれと言っているわけですし。

 

「当たり前」って何なんだろう

僕は誰にでもオープンにしてはいても、「こんな人に言ってもしょうがないな」と思うこともあります。同性愛を受け入れられないという意見自体はあってかまわないし、100パーセント認めてくれとも思っていません。そういう人たちには、冷たく言えば「興味がない」です。

僕だって何かしらの差別意識というのは持っていると思いますし、そこがパーフェクトな人はいないだろうから、責めるべきは個人ではなく、偏見を醸成している社会のほう。

みんながちゃんと教育を受ける機会もない状態で、個人レベルで見れば拒否反応を示す人はそりゃいるよねって思います。ネットで当事者を攻撃したり、差別を撒き散らしたりする行為はまた別ですが。

たまに聞く「生理的に無理」というのは本来はないと思っていて、僕が異性愛者に対してそんなふうには感じないし、それはなぜかというと、「異性愛が当たり前」の世の中で育ってきているからです。

異性愛の人も同性愛の人もいるのが当たり前の世の中になれば、生理的にどうこうというのもなくなるんじゃないかなと。ツイッターでは、同性婚などの話題のほかに日々の暮らしをつぶやいたりもしています。どれだけの人が見ているかはわかりませんけれども、不特定多数の人の目にもとまることで、色眼鏡が外れていくんじゃないかなと。

「同性愛の」カップルの日常、として見られているのであれば、まだその段階なんだなとも思いますが、当たり前になるまでは、僕にできることとして続けていこうと思っています。そして、国の法律が変われば教育が変わるし、教育が変われば次の世代の常識が変わる。そうすればもっとお互いを受け入れられる社会になると思います。

 

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