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生き方

実は相手のことには興味なし? 「一目惚ればかりする人」の共通点

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2021年12月17日 公開 2024年12月16日 更新

 

自分自身が嫌いな人の恋愛がうまくいかない理由

外化とは恋愛ばかりではなく、一般的に自分が自分に対して感じていることを、他人を通して感じることである。自分が自分に批判的なときに他人が自分に批判的と感じてしまう。

例えば外化はもともと自分が自分に怒っているときに、他人が自分に怒っていると感じることである。

八つ当たりという言葉がある。これは他人から見て見当違いな人に怒っているのであって、当の本人はまさに当たっている者に腹を立てているのである。これが外化を理解するときの手助けになる。

また人は自分が満足していなければなかなか人に優しくなれない。自分が孤独であろうと、性的欲求不満であろうと、満足していないときには、相手に優しくなれない。恋人にも優しくなれない。

しかしそうした欲求不満なときこそ、恋愛の激情に囚われる。このことを考えても外化という心理過程は理解できるのではなかろうか。

外化の定義とは何か。それは「自分の内面の心理過程をまるで外の出来事のように感じること」である。自分が自分に怒っているときに、誰かが自分に怒っているように感じることである。怒りは自分の心の中の心理現象である。

自分が通っている学校を悪く言う人がいる。何かのことで別の学校にいく。すると今度はそこの学校の悪口を言う。

新しく友人になると、しばらくしてその友人の悪口を言い出す人がいる。次々に新しい友人をつくり、次々に悪口を言う。

嫌いなのが自分自身である限り、どんなに新しい人と友達になろうが、また時が経てばその友達を嫌いになる。嫌いなのが自分である限り、いかなる恋も決して実らない。どんなに新しい恋人をつくろうが、またその恋人をいつかは嫌いになる。

何か悪いことをするときに自分がそれを気にしていると、他人がそれを咎めていると感じる。実は咎めているのは自分自身なのである。

相手を憶測し過ぎる人はたいてい外化の心理過程を経験している。こう思われやしないか、ああ思われやしないかと悩むのは、その人の心の中にそうした気持ちがあるからである。

要するに外化によって心理的問題を解決しようとしている人達は、現実の自分に対する怒りや不満をどう処理していいか分からなくなっている。

その自分の問題を一気に解決してくれそうなのが、目の前に現れた人なのである。それが「愚かな恋」をする恋人達である。

だから心理的に問題を抱えている人同士が、一気に偉大な恋に「燃え盛る」のである。

愛に燃えていると本人は思うかもしれないが、本当は欲求不満を解消しようとしているだけである。欲求不満の塊だから「熱烈な恋に燃えた」のである。

虚勢を張ったり、自分で自分にいろいろと言い聞かせたりしても、現実の自分に対する不満は処理しきれない点まで来てしまった。

そこで起きるのが外化による「愚かな恋」である。きちんとしたごまかしのない日常生活をして、自分に満足している人は、いきなり「物凄い恋」の虜にはならない。少しずつ相手に気持ちが動いていく。

「愚かな恋」の恋人達は、お互いに夢中で自分の欲求不満を解消しようとする。孤独は癒されたように感じる。性欲は満たされる。世界は一変する。

だからお互いに物凄く相手を褒めたたえる。しかし実は相手のことなど考えていない。一時的にかつ表面的に自分の欲求不満が解消されたのである。それなのに相手を熱愛していると信じて疑わない。

「愚かな恋」の恋人達は、お互いに相手に対する要求だけだから、時が経つと破綻せざるを得ない。

お互いに相手に「こうして欲しい」「ああして欲しい」が酷くなる。お互いに自分の要求は全く通らない。そこで「いざこざ」が生じてくる。お互いに「愛されること」だけしか、考えていない。愛する気持ちなどは、心のどこを探しても微塵もない。

恋に燃えているときには、相手は理想の恋人であった。「自分を愛してくれる恋人」であった。しかしそれは自分の願いが相手という鏡に映っているに過ぎないということに気がついていないからである。

「理想の恋人」を「自分を愛してくれる恋人」であると錯覚しただけである。しかし実際の相手は自分に要求ばかりをする人間であった。実際の相手は理想の恋人とは正反対である。

お互いに相手を自分の望むように変えようとする。しかしお互いに自分が変わろうとなど決してしない。お互いに自分の欲求を満たすところの相手が大切である。

相手は自分の欲求を満たしてくれるはずだった。しかし実際の相手は自分に対して要求をするばかりである。

相手は相手の要求に固執する。相手は変わらない。そして変わらない相手を、こちらが憎み出す。

(註5)Erich Fromm, The Art of Loving, Harper Row, Publishers, Inc, 1956, p.4,『愛するということ』懸田克躬訳、紀伊國屋書店、一九五九年

【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。   

 

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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