「これまでの人生に分岐点はなかった」ピアニスト・反田恭平が見つめる過去と未来
2021年11月05日 公開 2022年07月22日 更新
首席で入学したモスクワ音楽院を中退
自分にとって「慣れ」という言葉は嫌いなもののひとつで、モスクワへ行って慣れてしまい楽しいことだけになったらどうしても、だらけてしまうと思ったんです。居心地がよくなると吸収しようとする意欲に欠けたりするし...そういう兆候が若干見受けられたので、やめる決意がつきました。
実際いろいろなことが重なっていたんです。仕事でどうしても日本へ帰らなければならなくて、出席日数が足りなくなった件や、音楽院の主のような年齢不詳の先生が本当に厳しくて。特に留学生を目の敵のように感じていたのか...学生は仕事なんかせず、学ぶことが大切と、その先生とうまくいかなかったり...
そんなとき、恩師のヴォスクレセンスキー先生はずっと僕のことを守ってくれようとしたんですが、これ以上それに頼るわけにはいかないと決断しました。もう十分お世話になったし、迷惑をかけ続けるわけにはいかないと思った。
先生は「本当にいいのか」と聞いてくれましたが、僕は「いいんです」と答えたんです。学校をやめる決断を下すまでの1年間は、「これから何をしようか」「どこか新たな場所へ行こうか」本当に真剣に考えてました。
「音楽家」としての30年後のビジョン
30年後ぐらいまでに日本に学校を作りたい。「学校」というより「コンセルヴァトワール」と呼びたいんですが...アジアからヨーロッパに留学する人はいても、ヨーロッパからこちらに留学する人はいないじゃないですか。音楽教育という点で、目をそむけられているのだと感じています。
30年後には僕が作ったコンセルヴァトワールから卒業生が出て、リサイタルデビューやコンチェルトデビューを飾っている姿を想像しているんです。もちろん、そこに辿りつくには何年もかかるし、僕の勝手な想像でしかないことは承知しています。
でも、今までも願ったことは全部やってきているし、こうして言葉にすることで現実になると信じているんです。クラシックを広めるために、ピアノやヴァイオリンを見たことのない子供たちのいる国へ行きたいとも思ってます。オーケストラも作りたいし、やりたいことがたくさんありすぎて困ってしまう(笑)
僕は「運命」とか「奇跡」とか、そういう言葉を余り信じないんです。転換点というものはあるようでないと思っている。僕のこれまでの人生にも、分岐点はなかったんです。「そうなるはず」ということは既に決まっていて、それは「運命」とも似て非なるものであり、最初から決まっているんだと。
僕は出会うべき人に出会ってきているし、佐渡さんにも、(アンドレア・)バッティストーニにも、会える「さだめ」だったと感じています。
そんなに詳しくないけど、宇宙とかブラックホールとか、パラレル・ワールドに興味があって、地球というのは宇宙の片隅の灰のようなものでしかないと考えている。だから、絶対に宇宙のどこかで、今日の会話と同じことが交わされていているという確信があるんです。