四角いハンバーグ
作家としても料理家としても活躍する樋口直哉さんが日々提案するのは、"ふつうの料理の最新バージョン"。シンプルだけどぜいたく、ふつうの材料で、最高においしい……樋口さんが考える、つくる人も食べる人も豊かになる「最高の家ごはん」とは。
※本稿は樋口直哉著『ぼくのおいしいは3でつくる 新しい献立の手引き』(辰巳出版刊)より一部抜粋/編集したものです。
ふつうの材料で、最高においしい、家ごはん
「ふつうのご飯とはどういう料理だろう」
料理家になって一番考えたのがこのことでした。ふつうの反対は特別。料理家がつくるレシピには、つくる人の動機になるような特別感を求められます。
一方、唐揚げやハンバーグといった「特別ではない」定番のレシピも同じように必要とされます。ぼくはどちらかというと後者のレシピを多く書いてきましたが、よく考えるとハンバーグにも「ふつう」と「特別」なものがある気がしてきます。
例えばケチャップと中濃ソースをかけたハンバーグはふつうですが、 10時間かけてつくったデミグラスソースがかかっていればスペシャルでしょう。
ふつう=ノーマルは定義するのが難しい言葉です。コロナ禍で「ニューノーマル」 (新しい生活様式)という言葉が提唱されましたが、人との接触を減らし、目に見えないウイルスの存在を意識しながら四六時中マスクをする生活は「ふつう」ではありません。これをノーマルと定義することにはやや抵抗があります。
コロナ禍のなか、ぼくらが気づいたのは「ふつう」の生活の素晴らしさでした。親しい人と会話しながら楽しく食事をする。そんなふつうの食事が一番尊いのです。誰にとっても「ふつう」の食事があるでしょう。この本ではぼくの普段の料理をご紹介します。
実際に人が来たときなどにつくった料理ばかりですが、ちょっとだけ「ふつう」ではありません。なにせ、おひたしには数種類の野菜が入っていますし、ハンバーグは四角いですから。ちょっとふつうじゃない料理ですが、材料はふつうに手に入るものばかりです。
昔と今では食材の質も変わり、ライフスタイルも変化しています。複雑で時間のかかる料理は現代には合いません。ぼくが目指しているのはふつうの料理の最新バージョン。いつもより少しだけ手間かもしれませんが、味は保証します。料理は手軽がいいに決まっています。
ただ、手間を端折りすぎるとおいしさは半減するので、色々と工夫しています。そのあたりも楽しんでもらえればうれしいです。ふつうの材料で、最高においしい、家ごはん。それがつくれるようになれば人生の幸福度は確実に上がるはずです。
3皿と決めると、毎日が楽になる。前菜、メイン、デザートでつくる献立のススメ
毎日の献立を決めるのは大変な作業。心理学の世界に「決断疲れ」という言葉がありますが、人間が1日に決められる量には限りがあるので、仕事などで疲れているとき、献立がなかなか決められないのは当然です。
そもそも昔は手に入る食材もできる料理も限られていたので、 「なにをつくるか」を考えなくても済みました。 「毎日の献立を考えるのが大変」というのは、きわめて現代的な悩みと言えます。
一方で、日本の食が豊かになった結果として、健康長寿を実現できたのもたしか。昔のように毎日、ご飯と味噌汁、漬物だけの食事では飽きてしまいますし、極端に簡素化した食事は心や身体の健康にもよくありません。では、どんな風に献立を組み立てていけばいいのか?
レシピを書く仕事をしているので、 「樋口さん自身は、献立をどんな風に組み立てているんですか?」とよく聞かれます。正直、聞かれるまで深く考えていませんでしたが、書き出してみると3皿が基本だと気がつきました。
もちろん、毎食きちんと準備できるわけではありませんが、前菜をつまみ、メインと一緒にご飯を食べ、心とお腹に余裕があればデザートを食べる、というのがどうやらぼくの理想のようです。そこにお酒があれば言うことありません。
前菜、メイン、デザートの3皿構成はフランス料理の基本ルール。昔フランスに語学留学をしていたとき、大学に併設された学食で食事をしました。学食ですから内容は質素で、なにより安価なのですが、それでも前菜、メイン、デザートの3皿が基本なことに驚きました。
しかも、前菜にレンズ豆のサラダ、メインに揚げた鶏肉と山盛りのポテトフライを食べた後、多くの人が自分で一度テーブルを片づけてからデザートを食べるのです。
「日本は文化が違う」と思われるかもしれませんが、考えてみれば和食の一汁一菜も、汁飯香、あるいは汁飯菜(=おかず)の3皿構成です。和食にも「おひたし(前菜)」「焼き魚(主菜)」「お茶と果物(デザート)」という具合に当てはめることができますし、この形式に従えばラーメン、餃子、ザーサイ小鉢という具合に町中華風の食事も自由自在。
イタリア料理もプリモピアットの後にセコンドピアットがあって、ドルチェがあります。はじまりがあって、盛り上がりがあり、句読点が打たれるのは万国共通の感覚なのかもしれません。