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なぜ広報からCEOに?「特徴的な強みがない」からこそ活躍できる理由

2022年04月19日 公開

流郷綾乃(元ムスカCEO)

流郷綾乃

ちょっと前まで衆愚的な民主主義より、強いリーダーシップ、「賢い」独裁の方が効率的でマシな判断ができるのではないか、そんな考えが人々を引き付けていたのではないだろうか。しかし、ロシアのウクライナ侵攻を前にして、世界は独裁や権威主義の恐ろしさが身に沁みている、と信じたい。

プーチン大統領は、絶対的な権力で国内の情報を制限したが、同時に彼にとって都合の悪い情報も入らず、それが致命的な判断ミスにつながっていると言われる。これは「独裁」の構造的な問題だ。

これに対し、ウクライナのゼレンスキー大統領は、SNSで徹底的に情報を公開し、巧みに世界の、それも国レベルから無数の個人までの、支援をとりつけることに成功し、それが圧倒的に不利な状況にもかかわらず、現在(2022年4月8日)までの善戦につながっている。

しかし本稿の目的とするところは、この戦争の行方について、ではない。

今やあらゆる競争において <情報の公開>と<共感の形成>で、<衆知をあつめること>が、決定的に大きな力となるということだ。すでにプログラミングの世界では、徹底した情報の公開と、無数の個人の自発的な貢献に支えられたオープン・イノベーションには、どんな大企業の開発陣もかなわないことが明らかになっている。

このオープン・イノベーションを、社会制度にまで適用して、世の中をより良く革新していこうというのが、「ソーシャル・イノベーション」だ。この分野では台湾取り組み、なかでもオードリー・タンデジタル担当相による官民一体となったマスクマップの開発が有名だ。

一方、日本でもソーシャル・イノベーションの取り組みは、民間や地方レベルでは活発に行われている。現在、10代の若者の間では、<現代は才能のあるものにとって天国だが、それ以外にとっては地獄>というような言説が流布している。

しかし、ここには個人の競争力がすべて、という思い込みがあるようだ。むしろ、ソーシャル・イノベーションの時代、協創の時代においては、強さだけでなく、弱さも持ち寄って開発をしていくことが鍵となる。

本稿では、『SDGsでわかる 今ない仕事図鑑ハイパー』(講談社)から、流郷綾乃さんのインタビューを紹介しよう。特別な天才などではなく、特別に意識が高かったわけでもない、彼女がCEOとしてスタートアップ企業を率いた考え方は、参考になるかもしれない。

【流郷綾乃さん(元ムスカCEO)】
1990年兵庫県出身。ベンチャー企業の広報として活躍後、フリーランスの広報として独立。企業の大小を問わず、企業イメージの構築からマーケティングまで一貫した広報戦略コンサルティングを提供。2017年11月、ムスカ執行役員として経営参画し、2018年7月に代表取締役暫定CEOに就任。2020年11月、同社代表を退任。

 

営業への苦手意識が「成功体験」につながる

――子どものころは、どのようなお子さんでしたか?

【流郷】マイペースですが、今まで誰もやっていなかったことを率先してやり始めるところがありました。

何事に対してものんびりとしていて、自分なりのやり方でやろうとするマイペースな子どもでした。

中学生のときには、優等生でもなかったのに友だちにすすめられて生徒会副会長に立候補。票を集めて当選してしまったので、母親は本当に驚いていました。

生徒会では空き缶のプルタブを集めて、集まったアルミで、足の不自由な人のために義足を作るベトナムの団体に寄付する活動をしました。そんなふうに、今まで誰もやっていなかったことを率先してやり始めるところがありました。

――株式会社ムスカのCEOになるまで、いろいろな職業を経験されていますが、どのように働いてきたのですか?

【流郷】営業職についたものの苦手で、広報として会社に貢献。それをきっかけに「フリーランス」の広報職という働き方を選びました。

高校卒業後は、海外に行ってみたいと思って英語の勉強をしていましたが、アロマセラピーに興味がわき、マタニティー期や子育て中のお母さんたち専門のアロマセラピストとして働きました。

21歳と23歳のときに出産し、二児の母となりました。当時の夫が収入の不安定な自営業だったこともあり、家計のために自分が稼ぐにはどうしたらいいのかと方法を考えました。

そして「営業の仕事はがんばったらがんばった分だけ稼げる」というイメージがあったので、事務機器の販売代理店の営業職に転職しました。ところが入社してみて「営業の仕事が苦手」と気づいてしまったんです。

特に今まで取り引きをしたことのない企業にいきなり電話をするのに抵抗がありました。営業以外で売り上げアップの手段はないかといろいろ考えた末、「テレビや新聞、雑誌に載せたら問い合わせが来るはず」と思い、会社に相談して広報用のリリースを作りました。

これが日本経済新聞に載ったことで大きな反響があり、社長や同僚が喜んでくれました。これが初めての成功体験になりました。

その後ベンチャー企業に転職し、広報観点のイベント企画や営業の考え方も学びました。その企業の移転にともない退職すると、ふたつの企業から広報を手伝ってほしいという話があり、両方に関わるため「フリーランス」の広報職という働き方を選びました。

 

不得意なことをひとりでがんばるより、たいせつなこと

――ムスカのCEOになられたのはどういうきっかけですか?

【流郷】「この事業は人に伝える価値がある」と感じて引き受けました。ハエと若い女性であるわたしというインパクトのある組み合わせでムスカを世間に広めようと決心しました。

2018年7月、フリーランスの広報として関わった株式会社ムスカから、代表取締役CEOにならないかというお話をいただきました。

ムスカは、イエバエの幼虫を使用した※バイオマスリサイクルシステムを研究・開発する企業です。牛や豚、鶏の排泄物や生ゴミのような有機廃棄物にイエバエの卵をまくことで、ハエの幼虫が飼料になるのです。排泄物は一週間で、天然タンパク質飼料と農家向けの有機肥料に分解されます。ゴミから新たに、ふたつの資源を生み出すことができるのです。

当時は、※循環型社会の実現について言及する企業は多くはありませんでした。けれども今後の世界には、人口増加にともなった食糧危機の恐れがあります。未来の世界の課題にムスカの事業は必要で、昆虫テクノロジーという産業がサステイナブルな社会というもの自体を広げていけるのではないかと思いました。

わたしが仕事を選ぶ基準は、「自分の子どもが80歳になったときに語りたい会社であるかどうか」です。虫嫌いだったので最初はとまどいましたが、ハエの役割の大きさに驚いたので、「この事業は人に伝える価値がある」と感じて引き受けました。

またハエの持つネガティブなイメージと若い女性であるわたしというインパクトのある組み合わせで認知度を上げてムスカを世間に広めよう、わたしが広告塔となることで事業を前進させ資金集めにつなげようと決心しました。

――いきなりCEOというのもすごいですね。その経験から学ばれたのはどんなことでしょうか?

【流郷】不得意なことをひとりでがんばるより、いかにスピード感を持って事業を推進するかが重要だと思いました。

CEOもさまざまですが、第一には、その会社の世界観をいちばんに実現する人でなくてはならないと感じました。またチームワークの中では人に頼ることもたいせつだと学びました。不得意なことをひとりでがんばるより、いかにスピード感を持って事業を推進するかが重要なのです。チーム内で知識のある人の力を借りるのは鉄則だと思いました。

2020年11月、ムスカの代表取締役CEOは退任しました。昆虫テクノロジーやムスカの認知度をアップするという目標は達成できました。宝物のような経験をさせてもらった3年間で、この経験をもって社会に貢献していかなくてはいけないと思っています。

※バイオマス:生ゴミ、木材、動物の死骸・ふん尿など、動植物から生まれた再利用可能な有機性資源。

※循環型社会:有限な資源を効率的に、持続可能な形で循環させながら利用していく社会。

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