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爽快お仕事小説『書店ガール』 このお店は私たちが守る!

碧野圭

2012年03月16日 公開 2015年05月14日 更新

 また、編集部的な側面からいえば、作家のサービスという意味もある。サイン会によってファンと直接会う機会を作る、あるいはサイン会をやるほど人気がある作家だと自覚させる。つまり、作家のモチベーションをあげるために企画されることもあるのだ。

 いずれにしろ、それは版元の事情だ。それにうちが乗る必要はない、と理子は思う。
 「サイン会をやるためには宣伝もしなきゃいけないし、当日は社員もアルバイトも増やさなければならない。作家さんには謝礼とは言わないまでもおみやげを渡したりするわけだし、それに見合う利益が上げられなければやる意味はない。コミックの価格が仮に五百六十円だとすると、店の利益は二割だから百十二円。それが百冊売れたところで一万千二百円にしかならないの。コストパフォーマンスが悪すぎると思わない?」
 亜紀は唇を噛む。具体的な数字を出されると、自分の意見は太刀打ちできないもののように思える。

 「あなたの言うように、将来的には意味があることかもしれないけど、このイベント単体で赤になるようじゃ、やる意味はないわ。そこまでうちに余裕はないし、我々は趣味でやっているわけじゃないから」
 うなだれている亜紀に、理子はさらに畳み掛ける。
 「この作家はマニア層には強いのでしょうね。だから、遠くからも客が集まるかもしれない。だけど、その人たちがどれくらいうちのリピーターになってくれるのかしら。その作家のサインさえもらえれば、もう二度とうちに足を踏み入れない、そういう人たちがほとんどでしょう? そういう人たちのために仕掛けをするより、同じ手間を掛けるなら、元々のうちのお客様のためになることを考えたいわ」

 理子の言葉がもっともらしければもっともらしいほど、亜紀の心の中に反発が生まれる。なんのかんの言っても、結局、やらない言い訳をしているように聞こえる。
 「そんなこと言ったら、新しいことなんて何もできないじゃないですか。赤にならないのであれば、やってみてもいいじゃないですか。売り場の子たちの士気もあがるし」
 「士気があがる?」
 「ええ、作家さんに会う機会なんて滅多にないから、みんな喜びます。桂さんのファンの子もいるし、自分たちもサインがもらいたいって、楽しみにしているんです」

 亜紀の返事を聞いて、理子はかちんときた。フアン心理を仕事に持ち込むのは褒められたことではない。自分の趣味よりお客様の好みを優先してこそプロの書店員だろう。
 そして、プロの書店員であることが、理子の何よりのプライドなのだ。
 「悪いけど、それは公私混同だわ。あなた方の趣味のために、我々はイベントをやるわけじゃないのよ。そういうことのためにイベントを仕掛けることはできないわ」

 今度は亜紀の方がかちんときた。自分だって、別に趣味でやろうと言ってるわけじゃない。自分自身がBLファンというわけではないのだ。
 「バイトの子たちのモチベーションがあがるように考えるのも、社員の仕事じゃないですか。それのどこがいけないのでしょう」
 「それはそうだけど、やり方が間違っている。作家を巻き込んで自分たちの趣味を満足させるようなことは止めてちょうだい」
 「そんなつもりはありません」
 「そうかしら」
 理子は亜紀をじっと見た。亜紀も負けずに視線をはっしと理子に据える。
 「まあまあ、そんなにかりかりしないで」
 見かねた店長が割って入った。

 

<著者紹介>碧野圭(あおの・けい)

愛知県生まれ。東京学芸大学教育学部卒業。フリーライター、出版社勤務を経て、2006年、『辞めない理由』で作家デビュー。
著書に『雪白の月』『失業パラダイス』『銀盤のトレース』『銀盤のトレース age15 転機』『銀盤のトレース age16 飛翔』などがある。

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