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正義のためなら戦争を起こしていいのか...問われる「善悪の基準」

2022年05月26日 公開

佐藤岳詩(専修大学文学部哲学科教授)

倫理観

論語の中に出てくる孔子の言葉に「己の欲せざる所、人に施すこと勿れ」という有名な一節があります。人にされてイヤなことは他人にもしない、という意味の一節は、人としてのあり方、礼儀の本質を説いたものです。では、自分がされてイヤなこととはどんなことでしょうか?

倫理観は「人によって違う」ともいわれます。何が善くて、何が悪いかで迷ったときは、相手の立場になって、相手のためになるような行動や発言を考えてみましょう。

※本稿は、佐藤岳詩 監修/バウンド 著『こども倫理学 善悪について自分で考えられるようになる本』(カンゼン)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

「倫理」は、法律とは違うきまり

世の中にはいろいろなきまりがあります。その代表的なものは法律です。法律は国が決めた、明文化されたきまりです。法律違反をすれば逮捕されたり、罰金を取られたりします。たとえば、万引きをすれば窃盗罪になりますし、人を殺すと殺人罪になります。罪の重さによっては死刑になることもあります。

盗難や詐欺、殺人といった倫理に反することをすれば法律によって罰されますが、倫理に反しても法律違反になるとはかぎりません。

たとえば、電車の中で身体が不自由なお年寄りが席に座れずに困っているとき、席を譲らないのは犯罪でしょうか。「お年寄りに席を譲らないといけない」という法律はないので、席を譲らなくても逮捕はされません。でも、多くの人は「席を譲るべき」と考えているはずです。このような世の中のきまりが「倫理」といえます。

「法律は倫理の最低限」という言葉があります。社会のすべてのきまりを法律で定めるのではなく、国として絶対に守らせなければならないことだけを法律にするという意味です。見方を変えれば、法律は人として絶対に守らなければならないきまりですが、法律になっていなくても、守るべき「倫理」というきまりがあるということです。

 

「倫理」と「マナー」もちょっと違う

「マナーを守りましょう」と言われたことはないでしょうか。この「マナー」という言葉も、人として守るべききまりのような気がします。「マナー」は広い範囲で使われますが、「社会・集団全体として気持ちよく過ごせるような行動や、他人に迷惑をかけないようにすること」をさしていることが多いかもしれません。

たとえば、クチャクチャと音を立てて食べるのはマナー違反とされています。周囲の人が不快な思いをするからです。スマホには「マナーモード」があります。着信音などを消すことで、周囲の人に迷惑をかけないようにするためのものです。

ところが、「マナー」は文化や習慣によって変わることがあるので注意が必要です。たとえば、日本人はそばを食べるときにズルズルと音を立てて食べるほうが粋とされています。しかし、外国で音を立てて麺を食べることはマナー違反です。日本では器を手に持ってご飯を食べますが、韓国では、それは基本的にマナー違反です。

「ウソをつく」「ものを盗む」といった行為が人としてやっていけないのは、ある程度は世界共通ですが、マナーは文化や習慣によって大きく変わる点で、「倫理」とは大きく異なります。

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人にされてイヤなことはしない >

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