1. PHPオンライン
  2. 社会
  3. 正義のためなら戦争を起こしていいのか...問われる「善悪の基準」

社会

正義のためなら戦争を起こしていいのか...問われる「善悪の基準」

佐藤岳詩(専修大学文学部哲学科教授)

2022年05月26日 公開

 

人にされてイヤなことはしない

「人にされてイヤなことをしてはいけない!」と言われたことがある人は多いでしょう。倫理について考えると、いろいろと難しい問題も出てきますが、「人にされてイヤなことは他人にもしない」は、社会生活を送るうえで大切ですし、倫理の基本原則のひとつです。

クラスメイトをいじめたり、ウソをついたりしてはいけないのはなぜでしょうか。なんとなくいけないのではなく、きちんと理由があります。「人にされてイヤなことは他人にもしてはいけない」からです。

もし「1億円もらえるボタン」があったら押すか、押さないか。もしあなたが押すのなら、ほかの誰かが押すことも認めなければいけなくなります。「他人には押してほしくない」のに「自分は押したい」では筋が通りません。それでは自信をもってその考え方が「正しい」と言えないのではないでしょうか。

約2500年前に生きた中国の思想家である孔子も、「己の欲せざる所は人に施すなかれ」と、これと同じ意味のことを言っていました。今も昔も大切なことは変わっていません。そして、この先も変わらないでしょう。何が善くて、何が悪いかで迷ったときは、相手の立場になって考えてみましょう。

 

人や時代で倫理観は変わることがある

「1+1」の答えは、世界中どこでも「2」です。日本では「2」だけど、アメリカでは「3」ということはありません。今は「2」だけど、将来は「3」や「4」になることもありません。ずっと「2」です。

しかし、倫理観は「人によって違う」ともいわれます。文化や環境、宗教の違いによって、何が「善」で何が「悪」なのかの考え方が変わることがあるからです。

世界を見渡すと、日本人からすると信じられない考えの人たちもいます。たとえば、世界には親が決めた相手との結婚を拒否した娘を親族の名誉を汚す「悪」と考え、親族の名誉を守るためにその娘を殺害する「名誉殺人」という風習をもつ人たちがいます。名誉を守るための殺人なら仕方ないと考えているのです。

また、今ではとても信じられませんが、数十年前の日本では電車内や映画館でタバコを吸うことが許されていましたし、吸い殻を平気でポイ捨てする人もたくさんいました。

文化や環境、宗教が違えば倫理観が同じとはかぎらず、時代とともにみんなが思う倫理観は変化していますが、人として守るべき倫理は今と昔で変わったのでしょうか。考えてみる必要がありそうです。

 

「悪」と思える戦争に正義はあるのだろうか

2003年3月、アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領は、イラクが大量破壊兵器(WMD)を保有していることを理由に、多くの国が反対するなか、イラクに戦争を仕かけました。ブッシュ大統領はイラクを「悪の枢軸」と呼び、「正義」のために戦うことを強調しました。圧倒的な戦力をもつ米英軍によって翌月にはイラクの首都バグダッドは制圧され、同年5月にブッシュ大統領は戦闘終結を宣言しましたが、結局、WMDは見つかりませんでした。

イラクの立場からすると、「戦争で多くの罪のないイラク人が死んだ。何が正義だ! アメリカこそ悪だ!」と思ったはずです。戦争に無関係の国でも、「戦争をしておいて何が正義だ」と思った人はたくさんいました。

「正義」は、「すべての人にとって公正、公平であること」ですから、そもそも戦争のような暴力は、人の道から外れた「悪」なはずです。「正義」のためなら戦争をしてもいいのでしょうか。そもそも誰が「正義か、正義でないか」を判定するのでしょうか。

知っているつもりの「正義」という言葉も、いろいろ考えると難しく感じてきます。また立場を変えて考えると、何が正義かが変わってこないでしょうか。

 

関連記事

アクセスランキングRanking

前のスライド 次のスライド
×