うわべポジティブで感情をごまかすのをやめる
ポジティブな言葉が力を与えることはたしかです。でも、それがもし「うわべの言葉」なら、それは逆に力を削がれることになるでしょう。
「できると思えばできる。できないと思えばできない。これは揺るぎない絶対的法則である」。これは画家、パブロ・ピカソが残した言葉です。
ピカソが生涯で残した作品数は版画や彫刻など絵画以外のものも含めると、なんと14万点以上。1日あたり、4点以上の作品をしあげていた計算になります。そんなピカソに言われると説得力があるものです。
「できると思えばできるし、できないと思えばできない」。自己啓発本や企業研修などで、「だからできないと言ってはいけない」とよく引用される、ポジティブ言葉のお手本のような言い回し。でも、本当にそうなのでしょうか。そもそも、これは言いすぎです。
「できると思え"ば"できる」の「ば」とは、条件を示す接続助詞です。でも、原文にそんなニュアンスは1ミリもありません。"He can who thinks he can, and he canʼt who thinks he canʼt." 原文の前半では「できると思っている人はできるし、できないと思っている人はできない」と、あたりまえのことをいっているだけなのです。
それがまるで「できると思う」や「できると言う」が「できること」の必要十分条件かのように間違って論じられています。
その結果、生まれるのがポジティブの強制。そして、実は逃げたいと思っている自然な弱さを自覚することもできない、言葉だけが前向きな「うわべポジティブな人たち」です。
「うわべポジティブ」は不自然なメンタルの代表例。思考と感情がちぐはぐで、感情が足を引っぱるため、感情に振り回されることが増えるはずです。
さらに、そんな自分を情けない、恥ずかしい、みっともない、「ダメな自分」と否定すると、落ちこみや不安、ゆううつがさらに大きくなって返ってきます。実はいま、こういった「うわべポジティブな人たち」が急増しているのです。
「ネガティブ言葉禁止ルール」があるベンチャー企業に勤めているという女性会社員の方がこう言っていました。「ポジティブなふるまいを強制されるのが正直、しんどくて。弱音を吐きたいときもあるのに」と。
ある日、彼女は会社がある新宿方面の山手線に乗れなくなったといいます。ところが「とてもそんなことを言いだせる空気じゃない」と池袋から新宿まで、本来ならば10分程度で到着するものを、わざわざ反対回りで1時間近くもかけて、這うように会社に通っていたというのです。あきらかなガマンです。
案の定、職場に着いてもまともに仕事ができないため、最終的には会社を辞めたといいます。そもそもポジティブな言葉やふるまいを強制されるいわれなどあったのでしょうか。
うわべポジティブな人たちは「いつもポジティブでなければならない」と、執拗なまでに自然な弱さを否定しがちです。
「そう感じること」を否定されるのは真夏に汗をかくことを、尿意をもよおすことを否定されるようなもの。あきらかに限界があるでしょう。
そこにあるものをないと言い張るのは単なる不自然な強がりです。一時的に言動を強制することはできても、気分や感情を強制することは絶対にできません。
そんなことを続けていれば、感情が抵抗して、「意思による暴走」をどうにか止めようとするでしょう。
パニック発作のような「感情による強制執行」が起きるのは、「うわべポジティブ」によって理由のある自然な感情を押し殺し、無理やり黙らせてきたからです。感情がいうことをきいてくれなくなるのもあたりまえでしょう。
もともとポジティブな人を否定するつもりはありません。でも、もともとネガティブな人が一方的に否定されるのもどうかと思います。ポジティブがよいものという構図に飛びつきたくなるのも否定しませんが、それはあなたを生きづらくすることに気づいてください。
ネガティブやポジティブというのは車の両輪のようなもの。前者は「うまくいくための備え」を与えてくれる、そして後者は「不確実な未来に飛びこむための勇気」を与えてくれるものです。
善悪や優劣はなく、どちらが欠けても人生はうまくいきません。両方が揃って初めてバランスの取れた生き方ができるものです。
もしあなたが「うわべポジティブ」にハマっているのなら、まず言葉で自然な弱さの警告信号をごまかすのをやめましょう。感情の意味に耳を傾ければ、あなたが取るべき行動が見えてきます。