いつもネガティブなことばかり考えてしまう。自分に自信が持てず、つい虚勢を張ってしまう…。自己否定から抜け出せない「メンタルが弱い人」には共通する考え方があるといいます。産業カウンセラー片田智也氏が「ネガティブな感情との付き合いかた」を提案します。
※本稿は、片田智也 著『「メンタル弱い」が一瞬で変わる本 何をしてもダメだった心が強くなる習慣』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
メンタルが弱い人、いまメンタルが弱っている人
この世に「メンタルが弱い人」など一人もいないと、私は考えます。でも、「メンタルが弱っている人」はたくさんいます。どういうことなのか説明しましょう。
そもそもメンタルが強い、メンタルが弱いという考え方そのものが「少し変」なのです。わかりやすいよう、まず体の場合を考えてみます。
たとえば、運動神経がよくて筋骨隆々のスポーツマンがいたとしましょう。体が強いか、弱いかでいえば、あきらかに「強い人」です。
そんな強い人がインフルエンザにかかったらどうなるでしょうか。38度台の熱が出ると体が思うように動きません。立ちあがることはおろか、ベッドから起きあがるのも大変です。
さて、彼は「体が弱い人」なのでしょうか。もちろん違います。体が弱い人ではなく、「いま体が弱っている人」というのが正解です。発熱というのはウイルスを殺すための防御反応であり、そのせいで「いま弱っている」だけです。
起きあがれないことを「体が弱い」と嘆いたり、「動かなきゃ」と強がってはいけません。それをすると治りが遅くなります。必要があって「いま弱っているのだ」と弱さを認めて寝ていれば、自然と体の状態はよくなるでしょう。
それと同じ考え方をしてください。たとえば、もしあなたがサイフを落としたら、どんな気分になるでしょうか。落ちこみますね。肩を落とし、ため息をついたり、クヨクヨ嘆いたりする。それを「メンタルが弱い」というのでしょうか。
体の場合と同じで、「いま弱っている」のです。たとえ普段、前向きでポジティブな人でもサイフを落としたらふつうは落ちこみます。まったく落ちこまない人がいたら、それこそ異常です。
落ちこみというのは、「二度と同じ目にあわない」ため、対処をうながす防御反応であり、そのせいで、「いま弱っている」だけなのです。
差がつくのはその先です。私が出合った「メンタルが弱い人」というのは、落ちこんでいることを「情けない」と嘆いたり、「早く忘れないと」と強がったり、自然な弱さを否定しているのです。
それでも落ちこみが消えないと「メンタルが弱い自分はダメだな」と自己否定をし始める。それは、いわば「ムダな自己否定」です。
たとえば、足をねんざしてうまく歩けないとき「体が弱い」と自己否定などするでしょうか。痛みというのも防御反応であり、否定する必要も強がる必要もありません。そんなことをすれば「ずっと弱っている状態」が続きます。
落ちこみや不安、ゆううつ、クヨクヨというのも、すべて理由があって生じている防御反応です。
無視する必要も強がる必要もなければ、ましてや否定する必要など、どこにもありません。なのにそれを「ダメな自分」と否定していれば、あなたは1年間で何百回と「ムダな自己否定」をすることになります。
否定している自分のことを好きになることなどできませんし、自信、つまり自分を信じることも難しくなるでしょう。
前述したとおり、「メンタルが弱い人」はいないと思います。ただ「いま弱っていること」を認められず、ことあるごとに「ムダな自己否定」を繰り返して、自分を信じる力を殺してしまった「いつも弱っている人」がいるだけなのです。
自然な弱さを否定して不自然な強がりに逃げない
理由のある自然な弱さを無視したり、消そうとしたり、ごまかしたりしていると、どうしても自分のことを「ダメだ」と否定する機会が増えます。
ムダな自己否定を何度も繰り返していると、自分のことがキライになるものです。「自分を信じること」などできません。自信を持って生きていくのが難しくなるのも当然でしょう。
内心は不安でいっぱいでも余裕のある話し方をしたり、本当は落ちこんでいるのにつくり笑いをしたり、自信がないのに虚勢をはったり。どんなにうまく自然っぽく強がって見せても、それはホンモノの自信ではありません。
本来、自信というのは内面的なもの。たとえば、地位や権威といった他人や社会からの評価を必要としない、内側から湧きでるものが本来の自信です。
でも自然な弱さをごまかし、自己否定を繰り返していると、誰に認めてもらわなくても自分を信じられる「無条件の自信」を内側で育てることができません。
すると、他人や社会から得られるわかりやすい基準、たとえば、学歴や会社名、収入、ブランドもの、「いいね!」や友達、フォロワーの数などに固執することになります。
他人の評価を気にして生きるのはつらいもの。それに外からもらった相対的な自信というのは、もろいものです。
たとえば、定年退職して地位や肩書きを失った男性が急に老けこむという話を聞いたことはないでしょうか。自分を信じる根拠を失うからでしょう。元気がなくなるのも当然のこと。
自信を自分の内側で育てられないということは、他人の評価や環境の変化にいつも振り回されて生きることを意味します。いかに自信があるように見えても、それが外からの評価に基づくものである場合、その人のメンタルは「ずっと弱っている」のと変わりません。
そもそも人はなぜ自然な弱さを否定してしまうのでしょうか。理由のひとつは、これまで説明したとおり、防御反応として生まれている必要悪を「絶対悪」とカン違いしてしまうからです。
もうひとつの理由は、かんたんにいえば連鎖。家族や教師、ネットの情報、自己啓発書、社会の風潮など、「不自然に強がることを是とする人たち」に自然な弱さを否定されてきたからです。
赤ん坊のころから自然な弱さを否定する人などいません。なぜなら、不自然さを生みだす言葉を持っていないからです。落ちこんだり、不安になったりするのが「悪いこと」という概念を与えたのは、その人のまわりにいる誰かです。
少なからず誰もが背伸びし、自分をよく見せながら強がって生きているもの。でも、不自然に強がっているときは、他人の弱さに寛容になれないものです。「自分だってガマンしてるのに」と、そのつもりがなくても否定をしてしまう。
自然な弱さはかならず意味を持っています。その意味に応えて行動を変えることで、「弱さから逃げなかったこと」があなたにホンモノの自信を与えてくれます。
自然な弱さを否定してくるような人や情報から距離を置いてください。そうすれば、ムダな自己否定の回数も減り、それを強がりでカバーする頻度も減るでしょう。