自然な不安を認めると「不安おばけ」は消える
「不安を消す方法を知りたい」という方は少なくありません。もちろん気持ちはわかります。
私も、人間関係が不安、外に出るのも不安、将来のことも不安、あらゆることに不安を感じて、身動きが取れなくなった経験があります。
でも、それらはどれも意味があって生まれているもの。敵として遠ざけるものではなく、仲良くなって利用するべきものなのです。不安というのは、カーナビのようなものと考えればわかりやすいでしょう。
カーナビに目的地をセットすれば、目的地までの道のりを自動で案内してくれます。もし道を間違えても、それを正すようにカーナビが案内をしてくれるはず。
このときカーナビは「そのままだと目的地に着かないよ!」と警告してくれているわけです。不安もこれと同じ、「行動を修正しなさい」という警告信号なのです。
不安の警告を無視し、それをガマンでやり過ごすのは、目覚まし時計に座布団でもかぶせてごまかしているようなもの。
あって当然の、自然な不安を否定したがために大きくなった不安のことを、私は「不安おばけ」と呼んでいます。これまでの経験上、「不安で悩んでいる」という方の不安の九割は、この不安おばけです。
あるボクシング選手のカウンセリングを担当したときのこと。当初の依頼は「不安を消して欲しい」というものでした。
もともと身体的にも技術的にも強い選手です。ところが、「負けるはずがない試合で負けてしまったこと」をきっかけに、「不安から思うように身体が動かなくなる」ことがあり、連敗が続いていたのです。
「どうすれば不安が消せるのか?」を調べて、さまざまなことを試したといいます。プロ野球選手がスランプのときに通う治療を受けたり、「不安にならない暗示」をかけてもらったり……。でも、何をやっても「試合前の不安」が消えることはありません。
「不安が消えない限り、勝てる気がしない。もうどうすればいいのかわからなくて」──、不安おばけの典型例といえるでしょう。
最初にお会いしたとき、こう聞きました。「どうして不安が大きくなったのか、わかりますか」。すると、彼はポツリと「僕のメンタルが弱いからでしょうか」と答えたのです。
それは違います。自然な不安を否定し、ずっと強がっていたから。だから不安が大きくなっただけなのに。
冷静に、よく考えてみてください。「また負けるんじゃないか」と不安に駆られることは、そんなにおかしなことなのでしょうか? それが大切な試合ならなおさら、不安があってあたりまえ。むしろ「不安になるのが正解」でしょう。
選択肢は二つしかありません。逃げるのか、戦うのか。つまり、試合放棄し、負けて期待を裏切るリスクをゼロにするのか。もしくは、勝ってまわりの期待に応えるのか。
この場合、もっとも重要なのは、どちらで危険を避けるのか、ハッキリ決めること。不安の感情はそれを決めさせるための動機づけだったということです。
彼は「不安を否定している」という自覚さえありませんでした。コーチから「不安になるのはメンタルが弱いからだ!」と言われてきたそうです。彼が不安を否定し、不自然な強がりを続けていたのは、まわりから不自然な強さを強制されてきたから。
私との会話を通じて「不安はむしろ自分の味方なんだ」と気がついたそうです。試合の一週間前、彼はこう言いました。「もちろん不安はあります。負けるのは怖い。でも今は不安になることを不安と感じないんです」と。
練習量を増やしたり、新しい技を考えたり、相手の闘い方を分析したり、どんなに行動を修正しようとも、完全に不安をゼロにすることは不可能です。
つまり、確実に勝てるという見こみを得ることなどできません。どんなに準備をしても自然な弱さは残るもの。それは、スポーツでも仕事でも人間関係でも同じことでしょう。
それでも不安の感情にしたがって、やるべきことはすべてやりきる。すると、「できることはすべてやった」という自信、自分を信じられる感覚が湧いてきます。それが自然な強さです。
彼の試合の結果はというと、判定とはいえ、久しぶりの勝利だったと聞きました。
不安は悪でも、敵でもありません。味方であり、あなたが安全に生きていけるように常にガイドしてくれるナビゲーターです。
不安になってしまうのはあなたのメンタルが弱いからではなく、むしろ危機管理に優れた、すばらしいメンタルを持っている証拠です。それを活かし、安全に生きていくため、まず「不安になっていること」に気がつけるようになってください。