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親に放置され、犬と海が話し相手だった...名監督リュック・ベッソンの「孤独な幼少期」

リュック・ベッソン(著)、大林薫(監訳)

2022年06月20日 公開 2024年12月16日 更新

親に放置され、犬と海が話し相手だった...名監督リュック・ベッソンの「孤独な幼少期」

『グラン・ブルー』『レオン』『フィフス・エレメント』など、数々のヒット作を生み出してきたリュック・ベッソン。両親の愛に飢えた幼少期の親友は、同年代の子どもたちではなく、犬とタコ、そしてウツボだった――。映画界の名匠リュック・ベッソンを作り上げた、その孤独な幼少期をのぞいてみたい。

※本稿は、リュック・ベッソン著『恐るべき子ども リュック・ベッソン「グラン・ブルー」までの物語』(&books/辰巳出版)を一部抜粋・編集したものです。

 

友だちは犬、タコ、ウツボ...ひとりぼっちの幼少期

ぼくは相変わらずひとりぼっちだった。両親から与えられた、多少なりとも親らしい注意は「道路を渡る時は、左右をよく見ること」、それだけだった。

まともな親なら、もっとほかにもいろいろ気を配ってくれるだろうに。とにかく大人たちは新しい仕事で手いっぱいで、子どものことなどそっちのけだった。でも、ぼくは気にしなかった。孤独なんて、そんなものは、とっくのとうに慣れていたからだ。

そのうちに、ぼくにも生き物の友だちができた。バカンス村の支配人のユベールさんが飼っている雑種犬で、名前をソクラテスという。

ソクラテスもたぶん孤独だったのだろう。ぼくたちはたちまち仲良しになり、それからはいつでもどこでも一緒だった。ともに遊び、ともに食べ、ともに眠り、ぼくはソクラテスとしか話をしなかった。

これは大袈裟ではない。ぼくが誰とも話さなかったので、さすがに母が心配したくらいだ。

このときの母に、事態の重大さがわかっていたかどうか。ぼくはとうに言葉を話せる年齢だったのに、親に放置され、海と犬としか話をしない子どもになっていたのだ。

ソクラテスの次は、タコがぼくの親友となった。タコは二本の触手でぼくの腕に絡みつき、何度も色を変えたが、最後には、両目の間を触らせてくれた。そっと撫でてやると、とても喜んでいるふうだった。これが猫だったら、ごろごろと喉を鳴らすところだろう。

それからしばらくして、ぼくはタコに会いに行く途中でウツボを見つけた。ぼくは腕を伸ばし、ウツボの顎の下に手を入れた。ウツボはじっとしていた。それから、そっと撫でてみた。こちらの皮膚もとても柔らかい。

少しずつウツボは穴から出てきて、だんだん両手で触れるようになった。そして、ついにある日、向こうが気づかないうちに、ぼくはウツボのことをすっかり穴から出してしまった。

ぼくは二人が互いに焼きもちを焼かないように、午前中はウツボのところへ行き、午後になったらタコに会いに行くことにした。

 

孤独が自然と作りあげた映画

ぼくはもともと発想の豊かな子どもではなかったように思う。ただ、いつもひとりぼっちだったこと、そして、何でも揃う便利な環境に置かれていなかったこと、そのせいで、想像力ばかりが発達してしまったのではないだろうか。

孤独は子どもに有害だ。危険な牢獄だと言える。自分がこの世界に受け入れられていないと感じると、子どもは別に世界を作りあげ、そのなかに逃げ込んでしまう。そして、二度とこちらの世界に戻ってこないおそれがある。

ぼくの世界はウツボとタコと石ころでできていた。ぼくはその世界に守られていた。そのなかにいる限り、自分が存在していることを感じられた。

ウツボは体を撫でさせてくれるし、タコはこちらを優しくくすぐってくる。石ころはいくらでもオモチャを提供してくれた。ああ、ぼくは生きているんだと、そう実感できた。なんだかやり切れなくなると、ぼくはさっさと自分の世界に逃げ込んだ。

ほかに、ぼくがとりわけ楽しみにしていた世界がもう一つある。それは夢の世界だ。ぼくにとってベッドに入るのは、空港へ行くようなものだった。目的地と頭のなかの友だちを選択すると、いよいよ冒険の始まりだ。

旅の道連れは動物であることが多かった。まあ、それも当然だろう。当時、ぼくが交流を深めていたのは動物ばかりだったから。夢のなかでは動物たちも言葉を操れた。

冒険に出る前には、いろいろと試して、動物たちに一番ふさわしい声をあてがってやることもあった。

知らず知らずのうちに、ぼくは映画を作っていたことになる。

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『ジャングル・ブック』『2001年宇宙の旅』...世界を変えた初めての映画鑑賞

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