「温かな」「義理人情の」資本主義が “温かな社会”をつくる
2012年03月30日 公開 2022年12月26日 更新
日本社会はどうして格差が拡大してしまったのか。その背景には資本主義経済における競争の激化があるという。
諏訪中央病院名誉院長の鎌田實氏と、京都府立医科大学学長の吉川敏一氏は、2人の対談が記録された著書のなかで、これからの資本主義経済には"温かみ"が必要だと語る。どういうことなのか。
※本稿は、鎌田實、吉川敏一 著『生きる力を磨く66の処方箋』より、内容を一部抜粋・編集したものです。
「冷たい競争」より「温かな資本主義」を(鎌田)
少し前までの日本は一億総中流といわれる社会を形成していましたが、今では貧富の差が拡大し、格差社会が進んでいます。どうしてそうなったんだろう、とぼくはよく考えます。
ぼくたちは資本主義社会の中で生きています。資本主義のルールでは、お金の流れを止めずに常に回転させ続けないといけない。ところが今は、不安に思う人が非常に多くなって、お金をどこかで止めてしまっている。出さずに、使わずに、自分のところにとどめておこうとしている。
そうなると、資本主義経済は回っていかなくなります。すると、お金を持っている人はいいけれど、持っていない人は、どんどんどんどん貧しくなっていく。お金を回転させない資本主義は行き詰まってしまう。
だから、お金の流れを止めないことは大事だし、経済の専門家もそのことはよく話すのですが、一方で彼らが気づいていないこともあります。それは、資本主義社会はお金を回すだけでなく、「温かさ」も同時に回さないと、格差を解消させることはできずに、結局は行き詰まったり、混乱を招いたりしてしまうことです。では、「温かさ」とは何か。
先日、ヤマト運輸の社長である山内雅喜氏に会ってきました。震災後すぐに、宅急便1つにつき10円の寄付を決めました。なんと1年で140億円、純利益の半分です。しっかり仕事をして、なおかつ、温かいのです。
この企業は急に温かくなったのではありません。障がい者の雇用を広げるために、10年以上前からスワンベーカリーというパン屋を展開していました。競争重視の資本主義社会だからこそ、温かさが必要なのです。
景気が悪くなるのはこうした「温かさ」が低下していることも原因の1つで、「自分さえよければいい」という考えは、結局はその人自身にもよくないことが降りかかってきます。
たとえば、下請け企業への払いの単価を下げれば、一時的には自分の会社は潤うでしょうが、下請け企業の経営が悪化したり、破綻したりしたら、取引先の企業の経営にも悪影響が出てくる。結局、自分の首を絞めることになるんです。
ある衣料品会社は1000円を切るジーンズなどを販売していますが、数百円のジーンズを何年も履かれたら、関連製造会社にしわ寄せがきっと行くでしょう。
安い、安いと消費者も喜んでいるけれど、過度の低価格競争は回り回って、よくない形で自分にも跳ね返ってくる。優れた技術革新による物価の下落ならよいけれど、弱い立場の者が犠牲になる物価の下落は望ましいことではないはずです。
あるいは、たとえば「少しでも安いツアーを」と、とにかく安い旅行を求めていると、その影響はバス会社や添乗員などに出てきます。彼らの労働環境が悪化するため、過労に陥ったバスの運転手が事故を起こし、多くの人が犠牲になる事態を招いたりもします。
資本主義社会は基本的には競争の社会でもあります。競争することで社会は発展するというよい面も確かにある。その競争は、冷ややかで冷たい部分もあるのだけど、一方では、競争相手や周りの人を思いやる温かさをどれだけ持ち続けられるかは、実は大事なことのはずです
「冷たい競争」だけをしていると、社会は必ず殺伐としてきます。個人でも企業でも、競争に勝った者、あるいは勝っている者は優越感に浸り、いわゆる負け組を冷ややかな眼差しで見る。そんな社会がいいわけはない。そもそも一時期「勝ち組」「負け組」という言い方が流行(はや)ったこと自体、殺伐とした世相を反映しているでしょう。
義理人情のある資本主義であってほしい(吉川)
資本主義社会には「温かみ」も必要だということですね。「温かな資本主義」がよいと。ぼくも基本的には賛成です。
鎌田先生に対抗するわけでもないけれど、ぼく流の表現をするなら、ぼくは「義理人情の資本主義」を掲げたいですね。
衣料品会社や格安ツアーの例を話されましたが、「義理人情」の視点からいっても、取引先に負担を強いる経営や事業は望ましくないと、ぼくも思います。そういう意味でいえば、共に栄える「共栄」の思想こそが望ましい。
生活を安定させるために働き、努力して収入を得ることは必要です。働いて得たお金は、個々人が自由に使って構わないと思います。
逆に一円にもならなくても、やりたいことがあれば、それも自由にやっても構わない。生きがいを得るためには、そうした行為も必要だと思うからです。
義理人情で仕事をやって収入が得られるなら、それに越したことはありません。しかし、個人的にはそれで収入が得られなくても、それほど気にしません。収入を得るよりも、ぼくの場合は患者さんの病気が癒えて、笑顔になることに、大きな力点を置いている。患者さんに喜んでもらえることが何よりいちばんうれしいことです。
ぼくのいう義理とは、利害を離れても、人としてしなければならないこと。守るべき道理ともいえます。人情は情けや愛情、思いやり、慈しみのことです。
経済のシステムとして資本主義は、少なくとも現状では必要でしょうが、義理人情を生かした、あるいは、義理人情を欠かさない資本主義であってほしいというのがぼくの願いです。
「温かみ」と「利益の追求」は両立する(鎌田)
なるほど、「義理人情の資本主義」ですか。うまいことをおっしゃいますね。
漢方薬品メーカーの「ツムラ」という会社がありますね。そのツムラが2009年、北海道の夕張市に漢方薬の原材料の生産拠点を設けたことを知りました。
数年前、夕張は財政破綻をした市としても有名になりました。もちろん、そんなことで有名になりたくなどはないのでしょうが。 財政破綻した夕張にツムラが進出すると聞いて、ぼくはツムラに大きな関心を持ちました。何か「温かなこと」をしようとしているんじゃないかと思ったのです。実際、工場が夕張に進出すると、夕張の雇用拡大に寄与することになります。
それでぼくは、ツムラのことを雑誌やブログなどで称賛しました。
「株を買うなら、ツムラのような会社の株だと思う。こういう社会貢献に重点を置いた会社を応援して、温かな資本主義を作り出していこう。ツムラのような会社の業績が上がると、よりよい資本主義社会になると思う」
このような発言をして、ツムラを称えたのです。
その後、ぼくの発言を知ったツムラの社長である芳井順一氏から手紙が届きました。差し障りのない箇所をザッとお話しすると、「夕張への進出はとても悩んだけれど、応援してくれる人が一人でもいてくれて、非常に安心したし、うれしかった」などと書かれていました。
さらに、加工工場をできればバリアフリーにして、障がいのある人も働けるようにしたいことや、本社の医薬営業本部に車椅子の人を採用して、歓迎会も車椅子でできる会場を探したことなどが書かれていました。こうしたことを「涙が出る思いがする」と社長自ら書かれていました。社長の理念を共有し、実践してくれている部下への感謝の気持ちもあるのでしょう。こういう企業は強いと、ぼくは思いました。
慈善事業のようなことをやっていて、では、ツムラの業績はどうかというと、ここ10数年、利益を上げています。ツムラは温かなことを行ないつつ、売り上げや利益をしっかり計上している。まさに「温かな資本主義」を体現しているような企業といえます。
ぼくたちは資本主義社会を選択し、そこに生きているわけだから、儲けるのは構わない。いや、むしろしっかり儲けるべきだと思います。
でも、儲けるだけではいけない。利益を得ようというだけの発想をしていると、社会が冷たくなる。人と人との関係も、ギスギスしだす。しわ寄せも、どこかに必ず出る。だから、売り上げや利益を得ようとすると同時に、お金を回し、温かな心を忘れることなく、その心も回していかないといけない。
この両立はそれほど簡単ではないかもしれないけれど、不可能でもない。十分に可能であることは、ツムラの実例が示しています。
鎌田實(かまた・みのる)
諏訪中央病院名誉院長
1948年、東京都生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業。長野県の諏訪中央病院にて、地域医療に携わり、「住民とともにつくる医療」を提案・実践する。1988年、諏訪中央病院院長に就任。2005年、同院を退職。現在、名誉院長。2001年、ベラルーシ共和国大統領より「フランチェスカ・スコーリヌイ勲章」を受章。2006年、NGOとして読売国際協力賞受賞。2009年、ベストファーザー賞受賞。
主な著書に『がんばらない』(集英社)『言葉で治療する』(朝日新聞出版)『よくばらない』(PHP研究所)など多数。
吉川敏一(よしかわ・としかず)
京都府立医科大学学長
1947年、京都府生まれ。京都府立医科大学卒業。米国ルイジアナ州立大学客員教授、東京大学先端科学技術研究センタ一客貞教授、京都府立医科大学消化器内科学教授を経て、現在、京都府立医科大学学長。医学博士。日本抗加齢医学会、日本酸化ストレス学会などの理事長。
主な著書に『不老革命!』(朝日新聞出版)『ビタミン・ミネラル速効事典』(土屋書店)『京都府立医大のがん「温熱・免疫療法」』(PHP研究所)などがある。