勉強には「視覚」より「聴覚」が重要とされる納得の理由
2022年08月25日 公開 2024年10月21日 更新
言葉がなければ考えられない
私たちは、物事を考えるために言葉を用いています。言葉がなければ、考えるという行為そのものが大変難しくなります。そのことをわかりやすく説明するために、ちょっとしたテストをしてみましょう。これから私がする質問に答えてください。
「今あなたはどこでこの記事を読んでいますか?」
自分の部屋でしょうか。電車の中でしょうか。会社でしょうか。
いろいろな答えが考えられますが、この質問に対する答えを考えているとき、答えるときには、なんらかの言葉または文章で表現したと思います。これこそが、考えるときには言葉を用いているということなのです。
もしも、言葉を使わないで考えて、この質問に答えようとすると、ものすごく難しいことになると思います。
例えば、絵を描いて表現しようとしても、そもそもどういう絵を描くか、ということを考える時点で、すでに言葉を使っています。言葉がなければ、考えるという行為そのものが難しいのです。
私たちは、言葉を使っていろいろなものを定義し、考えています。例えば、本書の原稿を私はパソコンを使って書いていますが、そのことをみなさんに伝えるためには、「パソコン」など、私が使っている言葉の定義をみなさんと共有している必要があります。
私たちは、言葉を使って世界をとらえ、考え、自分の考えを人に伝えているのです。
言葉で思考するとき聴覚がはたらく
ところで、先ほどの質問に対する答えを考えているときに、頭の中で声を発しながら考えていませんでしたか?
「どこで読んでいるかって? 今自宅の居間でソファに座って読んでいるよ」といった具合に、心の中で話していたのではないでしょうか。
話すといっても、声に出してではなく、頭の中で朗読するイメージです。黙って書類や本を読むときや、あるいは今、本書を読むときにも同様の現象が起きているのではないでしょうか。
こうした「自分の声をイメージする現象」は「音韻表象(おんいんひょうしょう)」と呼ばれています。この音韻表象という現象が起きているとき、脳内ではどのような活動が行われているのでしょうか。流れを整理すると、次のようになります。
〈音韻表象が起きる流れ〉
(1) 文字を目で見る
(2) 脳内の視覚野で文字情報が認識される
(3) 聴覚野で文字情報が音声として変換される(音韻表象される)
(4) 言語野で音声が言語情報として処理される
今、とくに説明をしないで視覚野、言語野という言葉を使いましたが、脳内で視覚を扱う部分を視覚野、言語を扱う部分を言語野と呼びます。厳密には細かい区分もあるのですが、ここではおおざっぱに「そんなものか」と思ってください。
ここで特徴的なのは、文字情報は一度音声情報に変換されてから、言語情報として処理されるということです。それはすなわち、音声が言葉として認識されるということです。
文字情報だけでは言葉としては成立しません。音声があって初めて、言葉は成立するのです。それはなぜなのでしょうか。そのことを説明するためには、私たちは言葉をどのようにして身につけるのか、ということを考える必要があります。