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松下幸之助はなぜ「新しい人間観」を提唱したのか

松下幸之助

2022年10月12日 公開

 

物心両面の調和をもたらす提唱

ここで、この「新しい人間観」を提唱する、いいかえれば人間の本質を考えていく上での基本的な考察法というものについてふれておきたいと思います。

人間の本質については、すでにこれまでに過去何千年にわたって幾多の先人がいろいろと考えられ、さまざまなかたちでこれを述べておられます。そして、今日お互いは、それらを各種の文献記録によって知ることができます。

しかし、この「新しい人間観の提唱」は、そうした諸文献を通読し、これを取捨選択してまとめたというものではありません。

もちろん、それらは人間の幾世代にもわたる衆知の所産ですから、これを参考としつつも、より基本的には、人間発生以来今日までの人間の営みを洞察し、その中から人間の本質というものについて考察推知して得たものです。

といっても、数百万年、あるいはそれ以上にもわたろうという長い人間の歩みを、個々に詳細にわたって観察し、研究するというようなことはとうてい不可能でしょう。

何よりも、最初にも述べたように、数百万年の人間の歴史といっても、われわれが記録によって知ることができるのはわずか5000年ぐらいにすぎず、それ以前のことは推測に頼るしかないわけです。

それでは、人間の歩みの中からその本質を探っていくことは不可能かというと、そうではないと思います。というのは、これまでの人間の歴史の所産というか、知恵の集積というものは、これはすべて今日のお互いの人間生活の上に生かされていると考えられるからです。

つまり、今日のわれわれの言動なり、一挙手一投足というものは、ほとんどが幾世代にもわたって先人から受け継がれてきた人間の歴史の所産であり、知恵の集積であるということです。

われわれがなにげなく話していること、行なっていることの一つひとつは、今日になって突然生じたものではなく、長きにわたってしだいに積み重ねられ受け継がれてきたものです。

もちろん、そのようなわれわれの行動様式の中に釈迦とかキリストといった偉大な人々の教えが含まれていることはいうまでもありません。

それだけでなく、それ以前の記録がなかった時代にも、釈迦、キリストのような多くのすぐれた人々があって、その当時としては画期的な立派な思想を生み出したということがあったと思われます。

おそらくそういう人は数多くあったでしょうが、記録に残されなかったために、今日われわれはそれを知ることはできません。

しかし、それらの人々の知恵なり教えというものもまた、子孫よかれという代々の祖先の思いを通して、のちの世の人間の心の中に、生活の中に、受け継がれてきているのです。

だから、記録に残された幾多先人の尊い教えを参考としつつ、長い人間の歴史を通じての知恵と体験の集積である今日のお互いの生活現象を素直に考察していくことによって、人間の本質を推知することができると思うのです。

ここに提唱した「新しい人間観」は、そのような考察によって得られた人間観を述べたものです。

最後に重ねて申し述べたいことは、この「新しい人間観」によって1つの人間観を提唱することの趣旨は、人間生活の上に、物心ともに豊かな調和ある繁栄、平和、幸福を逐次実現させていくというところにあります。

このような人間観にもとづいていっさいの活動を営んでいくならば、人間の幸せもより高まっていくであろう、いいかえれば、この人間社会からできるかぎり不幸とか争いを少なくし、繁栄と平和と幸福を招来していきたいという願いに立って提唱したものなのです。

 

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