日本国内で中国人を目にする機会は多いものの、彼らがどのように独自の「経済ネットワーク」を築いているかは、日本人からは意外と見えにくいものかもしれません。個人で通訳ネットワークを立ち上げた女性の事例からは、柔軟なビジネスの発想と、意外な需要が見えてきます。フリージャーナリスト・中島恵さんの書籍『中国人は日本で何をしているのか』より紹介します。
※本稿は中島恵著『中国人は日本で何をしているのか』(日経BP)より一部を抜粋・再構成したものです。
独力で立ち上げた通訳ネットワーク
日本国内で中国人がいない業界はもうほとんどないといっていい。ビジネス界に限らず、地方自治体や病院職員、介護施設のケアマネジャー、私の家がある地区では、新聞販売店の責任者も中国人だ。
日本人が中国人に対して抱くステレオタイプなイメージとして、「商才にすぐれている」「商魂たくましい」というものがある。生まれ育った文化背景が違うので、商売に対する目の付けどころも違って当然なのだが、実際のところはどうなのか。
24年に出版した拙著『日本のなかの中国』で、在日中国人が構築するSNSなどを活用した「経済ネットワーク」を紹介した。例として建築・リフォーム業界、ネット通販業界などを挙げたが、その多くは在日中国人だけで完結するエコシステムとも呼べるものだった。
そして現在、「経済ネットワーク」は日本国内にとどまらない。中国に住む人から仕事の依頼を受け、在日中国人同士で紹介、融通し合っている事例なども数多い。また日本国内向けのビジネスを中国で展開する事例も増えている。
いずれも十数億人という巨大な人口が市場としてあり、その市場と強力なネットワークを結ぶ中国人ならではの国境を越えたビジネスが、中国のSNSというインフラを通して繰り広げられている。ネット空間を利用しているだけに、彼らが何をやっているのか、その過程は日本人からは見えにくく、私たちが内情を知る機会はほとんどない。
そこで本稿では、中国人の独特のビジネスの感覚・才覚を紹介したい。
まずは顧客の要望に合わせて適切な人材を集めて業務にあたるバーチャル・カンパニーのような仕事である。
24年3月、私はある国際交流イベントで、翁さんという女性と知り合った。
翁さんは、福建省福清市で生まれた。福清市は「僑郷(華僑のふるさと)」と呼ばれる地域で、海外に働きに出る人が非常に多い。中国にはそういう場所がいくつかあり、たとえば東北部の延辺朝鮮族自治州に住む少数民族の朝鮮族も、若者のほとんどは日本、韓国など海外に出ていて、地元には高齢者と子どもしかいない。
翁さんは先に来日した親戚を頼って19歳で日本にやって来た。日本在住歴は11年に及ぶ。最初は日本語学校に通いながら、いくつかのアルバイトを経験し、コロナ禍をきっかけに医療通訳の専門学校に通うようになった。取材すると通訳以外の仕事もしているという。
「まずSNSのグループを作り、私のもとへ依頼のあった(通訳の仕事の)内容、条件を記載します。そして、その内容に関心があったり、得意だったりする人から履歴書をもらいます。ひとつの仕事に複数人が応募してきたら、私が審査、選定して指示をする、という流れです。
私はお客さんから直接仕事を請けて、通訳料の8割を発注した通訳に支払います。私がプラットフォームを作り、最適な人に仕事を依頼するので、お客さんとその通訳は(お金の決済や業務内容も含め)直接連絡をしないというのを条件にしています」(翁さん)
翁さん自身も通訳として働いているが、先約があり仕事を受けられないことがあった。だが、同業者のグループを作れば確実に受注できる。顧客、自分、通訳仲間の誰にとってもよい仕組みだと考えた。
翁さんは、誰かに教わったわけではなく、独力でこの仕組みを立ち上げ、すべて一人で運営している。応募してくる通訳は雇用契約ではなく、それぞれ独立している。自分で仕事を取れない人からは感謝され、お互いに仕事を融通し合えるというメリットがある。
断捨離ブームで整理アドバイザーが増加
中国人の職業ごとのSNSグループでは、「アルバイト募集、時給〇〇円」「明日、〇〇(駅名)付近で緊急に〇〇の作業ができる人いますか」などの照会が毎日のように掲載されている。翁さんの場合は、あたかも自身が通訳会社の社長であるかのようなシステムをSNS上に作り上げているのが特徴だ。
医療通訳に限らず、見本市などの展示会や商談など幅広い分野のビジネス通訳の仕事も受注している。仕事内容は、以前からSNSでつながっている人、また、従来つながりがない人も閲覧できる小紅書でも紹介している。口コミもあり、仕事はどんどん増えている。
「私自身、(中国在住の)常連客の通訳をすることが多いのですが、(日本で開かれる展示会のために)来日するには費用がかかるので、私一人で足を運ぶことがあります。会場で出展者の名刺をもらい、写真やパンフレットを撮影。ブースで日本人担当者から聞いた内容や展示会の様子などをお客さんにレポートします。お客さんは経費と時間の節約になるし、一度にたくさんの情報を得られたり、自分とは異なる目線の情報を手に入れられたり、と好評です」(翁さん)
翁さんはほかにも建築家のアシスタント業、タレントのマネジメントなど、さまざまな仕事を並行して行っている。それも、「見識を深め、人脈を広げるのに役立っている」と楽しんでいる。
また、整理収納アドバイザー業も行っている。中国に住む中国人や在日中国人の間では、ここ数年、やましたひでこさんが提唱した「断捨離」がブームになっている。日本の整理収納アドバイザーの資格を取る中国人も増えている。
翁さんも資格を取得、医療通訳のときと同様、SNSのグループを立ち上げ、整理収納に関するアドバイスを希望する在日中国人の家庭などから仕事を請け、他の資格取得者を募って発注する。顧客宅を訪問する最終チェックは翁さんが自ら行って報酬を受け取り、発注した仲間に翁さんから料金を支払うという仕組みだ。
ほかに、顧客から「1年間、整理収納の相談し放題で20万円」という変わった仕事も請け負ったことがあるという。平日の昼間、いつでも翁さんに電話やメールで相談でき、アドバイスをもらえたと好評だった。
なくてはならない医療通訳
翁さんは個人で複数のSNSのグループを立ち上げて管理し、社長のように仕事を回している。これも顧客の要望を叶える才覚があるからできることだろうし、SNSがなければ成り立たないビジネスだ。
翁さんによると、医療通訳の資格を持つ中国人は、日本に少なくとも500〜1000人はいるのではないかという。中には「3000人はいるのでは」と話す人もいた。医療通訳は病院関係者以外の人は目にしない仕事なので、日本人はそんなに大勢の中国人がその職業に就いているということに気づきにくい。
彼らは医療通訳の専門学校で免許を取得してフリーランスとなったり、自分の会社を作ったり、日本の医療機関に就職したりして働いている。都内では順天堂大学医学部附属順天堂医院、藤田医科大学病院など、日本を代表する有名な病院の多くに中国人が就職している。
こうした病院では患者の専属通訳を務める場合もあるし、中国の医科大学との提携や交流事業などの業務のため、国際部などに所属する場合もある。フリーランスで、翁さんが主催するようなグループに属さない人は、自ら小紅書などで営業している。
医療通訳の顧客の大半は日本語が話せない国内外の中国人だ。医療ツアーで来日し、人間ドックを受診する人、個人で医療滞在ビザを取得して、在日中国人などを介して高度な治療を受ける人などである。在日歴が長くても、日本語が不自由な中国人も多いため、通院同行の仕事もある。
私の友人の中国人は持病があり、年に1〜2回、突然具合が悪くなるが、妻は日本語ができないため、遠方の友人に依頼して病院に連れていってもらっている。しかし、いつも友人に頼れるとは限らない。そういう人にも医療通訳は必要とされる。
その他、医療に関する国際シンポジウムの同時通訳、逐次通訳など、専門的な医学用語を使う仕事はかなりの需要がある。