模倣から個性発揮へ
2カ月前の1976年1月、幸之助は民放のテレビ番組で俳優の森繁久彌と対談をした。その中で、「どうやって自然体でありながら深みのある演技ができるのか、誰かに教えてもらったのか」と尋ねたところ、森繁は「自分で暗中模索しながら身につけた」と答えた。最初はほかの役者の真似から入ってもよい。けれども結局は、迷いながら自分なりの演技を追求しなければダメだという。
森繁の言葉に幸之助も、「商売も真似だけではいけませんわ」と共感した。幸之助は別のところでも、同様のことを述べている。
「弟子が師匠にものを学ぶ。最初は師匠の模倣である。最初は誰でもそうである。しかしやがては、師匠を真似て師匠の範囲だけにとどまる人と、師匠の範囲を抜いてそこにより新しいものを生み出し、自己の個性を生かしていく人との違いが出てくるようになる。
先の人、つまり師匠の範囲しか真似られない人の場合を、私は模倣の人と呼びたい。しかし、あとの人の場合は、最初は模倣であったかもしれないが、やがてはこれをよく吸収消化した人であったと言いたいのである」
師匠の教えを吸収してばかりいたら、弟子はいつまでたっても弟子のままである。上手に消化して初めてその人の個性が生き、師匠の範囲を超える可能性が出てくるのだ。
学校の授業やセミナーの習い事も同じである。そこで教わった知識を頭の中にいくら蓄えても、使えるようにならなければ意味がない。幸之助は森繁にこんなことも言った。
「経営でも、経営学というのがありましょう。経営学は教えることができる、習うこともできる。けれども経営のコツは、生きた経営というものは教えることはできない。習うこともできない。自分で体得せねばしかたないですよ。そこに難しさがあるということを自分でも感じ、人にも話をするんですよ」
森繁が独自に演技を身につけたように、経営も結局は自分で模索しながら体得していかなければならない。そうした苦しい過程を経てこそ、自分なりの経営のコツをつかむことができるのだ。
天分を生かすには
幸之助がなぜ、「模倣の人」であることに否定的であったのか。それは、人間にはそれぞれ天与の個性・特質、つまり天分が与えられており、その天分が生かされないことほど不幸なことはないと考えていたからだ。ほかの人とは与えられた天分が異なるのに、模倣をしていてはそれを生かすことが難しい。
逆に、天分を生かした仕事をしている人は、幸之助によると、社会的地位や所得の高低にかかわりなく、生き生きとして喜びに満ちあふれている。天分を生かせるかどうかが、その人の生きがいや幸せにかかわってくるのだ。幸之助が会社経営において適材適所を心がけたのは、組織を活性化する狙いもあった一方で、社員一人ひとりが天分を見出し、生きがいを持って働けるようにしたいとの思いからだった。
ただ、自分の天分を見つけるというのは、実際には簡単ではない。では、いかにして発見すればよいのか。幸之助いわく、第一に、天分を見出したいと強く願うこと。そうすれば、日常生活の中でおのずと見出せる場合が多いという。第二に、偏りのない素直な心で自分を客観視すること。そもそも誤った自己認識では天分を生かすことができない。
この二点の実践に努め、自分の天分を見出し、存分に発揮していく――。これこそまさに確固たる「自分流」の生き方だといえるだろう。