抑圧は物事をより大きく感じさせる
怖れている者は必ずしも怖ろしい者ではないということについて女性恐怖症の人を考えてみる。
シーベリーの著作に次のような話が載っている。
著者がロンドンで象のハンターとお茶を飲んでいた時の話である。彼はアフリカで生活していることが多かった。
ある軽薄そうな女性がさりげなくそのハンターに近づいて、耳元で何かをささやいた。彼は真っ青になって手が震えてきた。そしてお茶をこぼして部屋を出て行った。
彼は襲いかかってくるライオンよりも女性の方が怖かったのである(2 註)。
私たちは、大蛇を捕獲することを職業としていれば、大蛇も違った見方になる。
大蛇を見るとお金に見える。
必ずしも危険な物が怖いわけではない。
かかわり方で違って見える。
その人の恐怖心が、ある人を怖い人にする。
相手に「迎合する」と、その相手が怖くなる。
自分がその人を怖い人にしてしまっている。
人間関係での脅威ばかりではなく、病気に対する不安も同じである。何でもないような体の不調を、深刻な病気だと思ってもの凄く不安になることがある。
脅威志向の高い人は小さい頃から脅されて生きて来たのである。
ちょっと熱が出ても「死に至る病」のように不安になる人がいる。それはちょっとした失敗を、取り返しのつかないほどの失敗と思ってしまう人と同じである。
それはそういう不安を呼び起こすホルモンが身体に出るからであろう。
それがたいしたことがない病気の不安を重大なことにしてしまう。同じように失敗を怖れる人は、それがたいしたことがない失敗を重大なことにしてしまう。
失敗を怖れる人には色々な抑圧がある。
どんなものの抑圧であれ、抑圧はことを重大なものに感じさせる。
不安を拡大鏡で見てしまう。
環境からの入力よりも、脳内でもっと「考え」を引き起こしているという事実を、私達は実際にはかることができる。ブラント医師が一緒に研究をしている神経生理学者の一人が脳の働き方をはかることについて次のように言う。
「あなたは、あなたの現実をつくるのだ(3 註)」