コロンブスはわざと「勘違い」をし続けた?
しかし、である。
コショウを求めて航海に出掛けたコロンブスが、コショウの味を知らなかったのだろうか。
もしかすると……と勘繰ると、これはコロンブスが意図的に間違えていたのかもしれないとも思える。
大西洋を西へ進めばインドにたどりつけるのではないかと考えたのは、なにもコロンブスだけではなかった。しかし、本格的な探索には莫大な資金を必要とする。そこで、コロンブスはスペインのイザベラ女王を説得して、多額の資金援助を約束させたのである。
コロンブスがイザベラ女王を説得するために使ったのが、新航路による香辛料貿易の膨大な富と、黄金の国ジパングだったのだ。
こんな大風呂敷を広げて資金援助を受けているのだから、いまさらインドにたどりつけなかったなどと言えるはずがない。そのために、彼はトウガラシを「ペッパー」と言い張ったのかも知れない。そしてコロンブスは、アメリカ大陸発見の後も自分が発見した場所がインドであると主張し続け、黄金の国ジパングを探し続けるかのように、死ぬまでアメリカ大陸の探検を続けたのである。
こうしてコロンブスによってトウガラシはヨーロッパにもたらされた。しかし、残念ながら、コロンブスが苦労して持ち帰ったトウガラシはあまりに辛味が強く、コショウとは風味が異なることから、コショウの代わりとは認められなかった。そして、ヨーロッパの人々はトウガラシを受け入れようとしなかったのである。
アジアに広まったトウガラシ
一方、南アメリカのブラジルをポルトガル領にしたポルトガル人たちは、ここでアメリカ大陸原産の植物であるトウガラシと出合った。
ヨーロッパ人に受け入れられなかったトウガラシではあるが、船乗りたちにとってトウガラシは役に立つ植物であった。当時の船乗りたちを悩ませていた壊血病は、ビタミンC不足が原因であった。そのため、ビタミンCを多く含むトウガラシは、長い航海には欠かせないものとして船に積まれていたのである。
そして、ポルトガルの交易ルートによって、トウガラシはアフリカやアジアへと伝えられていったのである。
ヨーロッパの人々には好まれなかったトウガラシであるが、アフリカやアジアでは急速に食卓に取り入れられていった。
辛味のあるトウガラシは、害虫の繁殖などを防ぎ、食材や料理の保存に便利である。しかも、暑さの厳しいアフリカやアジアの国々では、暑さで減退する食欲を増進させるために、さまざまな香辛料が用いられていた。そのため、トウガラシは数ある香辛料の一つとして、無理なく受け入れられたのである。
インドのカレーはもともとコショウなどの香辛料を使っていた。しかし、今ではトウガラシはカレーになくてはならないスパイスになっている。
タイ料理のグリーンカレーやトム・ヤン・クンに代表されるように、東南アジアでは料理にトウガラシをふんだんに使うのが特徴である。また、四川料理のように、中華料理も辛い味のものが少なくない。
栄養価が高く、発汗を促すトウガラシは、特に暑い地域での体力維持に適していたのである。