「いつもいいことが起きる人」と「いつも悪いことが起きる人」の違い
まさに「それにもかかわらず」、いつもいいことが起きる人と、いつも悪いことが起きる人との違いは、どこにあるのか?
それは起きたことに対する対処の仕方の違いである。
外から見るといつもいいことが起きているように見えるが、いつもいいことばかりが起きる人などいない。いるはずがない。
いつもいいことが起きているように見える人は、いいこと悪いことを含めて、起きたことを自分の態度や行動でいいことにつなげているのである。
つまり起きたことに対して、必ず自分から動いて対処している。諦めたり、歎いたり、人を恨んだりする前に、とにかくどんな小さなことでも自分のできることをしてみる。ただ幸運を待っていない。
起きたことには、いいこと悪いこといろいろとある。誰の人生にも、辛いことがある。
外から見ていいことばかり起きているように見える人も、起きたこと自体には辛いことが多い。
問題は対処するだけの「生きるエネルギー」があるかないかである。そこに、はじめに書いた「それにもかかわらず、神経症的問題の根源は、その両親との関係にある」という言葉が関係してくる。
親子関係に挫折した人は、起きたことに対処するエネルギーが残っていないことが多い。
いつもいいことが起きているように見える人は、「何かいいことないかなー」ではなくて、いいことが起きるように毎日を過ごしている。
逆境に強い人の特徴
ヒギンズという回復力の研究者は、回復する力を持っている人の特徴として、レジリエンスがあると言い、その特徴の一つをプロアクティブ
proactiveと言っている。
それは日本語に訳しにくいが、自分から動くことである。プロアクティブは起きたことに対処することである。
ヒギンズは「ちなみに私のオクスフォード辞書でのproactiveの定義は、controlling a situation by making things happen rather than waiting
for things to happen and then reacting to themである」と述べている。
ヒギンズは「何かが起こるのを待ってから対応するのではなく、ことを起こして状況に対処すること」であると言う(註2)。
レジリエンスの定義はなかなか定まっていないようであるが、困難な環境にあっても正常な発達をすることである(註3)。
あるいは「人生の挫折に対処する能力」である(註4)。
私は内容的にはスーパー・キッズ superkids があたっているような気がする。非行にはしっても、うつ病になってもおかしくない親子関係の中に置かれながらも健全な大人に成長する。
常識で考えれば、憎しみをもつ大人になっているはずである。それなのに健全に成長する。憎しみに囚われずに愛する能力を自ら育成する。
過酷な過去から回復する力を持っている人の特徴、つまりレジリエンスの特徴、それはプロアクティブである。
反対はリアクティブである。リアクティブの典型的な態度は、「ただ歎いている」ことである。起きたことに対処しない。
プロアクティブは起きたことに対処する。
私のプロアクティブなことの定義は「解決の意志がある」ということである。
リアクティブな人には、解決の意志がない。ただ歎いているだけ、解決しようとしている「ふり」をしているだけ、格好をつけているだけ、もっともらしいことを言っているようだが、文句を言っているだけ。
リアクティブな人には解決の意志がない。悩むことが主眼である。悩むことが目的で、解決は目的ではない。
※註1 Rollo May, The Meaning of Anxiety , W. W. Norton & Company Inc., 1977, 小野泰博訳『不安の人間学』誠信書房、1693年4月25日、116頁
※註2 Higgins dissertation. pdf
※註3 Ann Clarke and Alan Clarke, Human Resilience A fifty Year Quest , Jessica Kingsley Publishers, 2003, p.23
※註4 ibid., p.23
【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。