心を支えた「いつか会える」という希望
彼女は若くに結婚して生活が苦しいが、周りと自分の家を比べない。
小さい頃から家族がいる家庭がうらやましかった。
そして早く結婚した。子どもも早く欲しかった。
そして今毎日が充実している。
しかし父親と一緒の時の写真がない。
母親は父親の借金で苦労している。母親の気持ちもよく分かる。
彼女は経済的にも愛情の面でも恵まれていない環境で成長した。「にもかかわらず」彼女は見事な成長を遂げた。彼女はまさにレジリエンスの実例である。
レジリエンスの定義は、今のところ、小さい頃の経験から想像されるよりはるかに心理的に望ましく機能することである。まだスタンダードな定義はない。
精神病理的に高いリスクに成長した人の10%でレジリエンスは起きる。
ただレジリエンスの定義がそれぞれ違うので、正確にはいえない(註1)。
まず彼女には世間を見返すという気持ちがない。それがあったら世間に見せつける幸せを求める。そして本当には幸せにはなれないだろう。
彼女は負けず嫌いだが、世間に対しての気持ちは薄い。世間からの賛美を得るために頑張ったのではない。彼女にとって世間がどう見るかが重要なことではない。
彼女は、一緒に映っている写真ではないが、父親の写真を持っている。
そして「時期が来れば会える」と思っている。希望は心を支える。
自分を捨てた父親に憎しみの感情だけであったら写真を持っていない。彼女は幸せの形を父親に見せたい。
レジリエンスのある人たちはどのような経験であれ、出会う経験から、望ましい情緒的な有効性を獲得する。(註2)
要するにレジリエンスのある人は何を経験しても「良かったじゃない」と解釈する。そのように過去の経験を感情的に肯定する。
※註1 Gina O‘Connell Higgins, Resilient Adults: Overcoming a Cruel Past , Jossey-Bass Publishers San Francisco, 1994, p.18
※註2 ibid., p.20
【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。