翻訳家・岸本佐知子も知らなかった「'the'と'a'が無い英文」 に秘められた意味
2019年12月28日 公開
ちっぽけな存在に心を寄せる
ショーン・タンという作家はその一人で、『アライバル』という本がすばらしかった。でもその本は文字が一つもなくて、〈翻訳したくて、翻訳できなくて、地団駄をふみました〉という帯文を書いたら、次の『遠い町から来た話』を翻訳しませんかという話をいただいて。
最初は、絵本って字がちょっとしかないからラッキー、なんて思いました(笑)。でも、逆なんです。絵の旋律がありながら文章の旋律もあるという感じで、訳すのが難しい。ショーン・タンの文章は理屈っぽいのに感覚的なところがあって、そこもけっこう苦労します。
最新作の『セミ』は、セミが人間に交じってサラリーマンとして働いている話。17年間欠勤なし、だけど家賃が払えないくらい給料が安くて、会社の壁の隙間に住んでる。セミがしゃべる言葉はたどたどしく訳したんですけれども、原文に「a」「the」などの冠詞が一切ないんです。
英語において冠詞はすごく重要だから、冠詞がないのはすごく居心地が悪い。ネイティヴの人に訊ねたら、「これは移民の英語だね」と言われました。
実際、ショーン・タンのお父さんは中国系シンガポール人でオーストラリアに移住してきた人。移民というのは、社会の主流にいる人たちからしたら目に見えない存在で、苦労が多かったようです。
だからなのか、ショーン・タンは、社会のすみっこにいる人や、ちっぽけで誰からも見向きもされないものにいつも心を寄せている。それは思考に関しても同じなのかなと思っていて、アイデアの中でもこれは使えないなっていう思いつきを彼は拾い集めて物語にする。
作家への愛と責任
ルシア・ベルリンもすごく好きな作家です。私がたくさん訳しているリディア・デイヴィスという人が、彼女のことをほめちぎっている文章を15年前ぐらいに読んだんですね。
そんなに人をほめたり推薦文を書いたりしないクールな人なのに「ルシア・ベルリンすばらしい、こういうふうに書けない自分が悔しい!」ってテンションで。
当時は全部絶版で、古本を買いました。アメリカでも「知る人ぞ知る」作家だったようで、無名のまま2004年に亡くなったということをあとから知りました。
読んでみたら、もうむちゃくちゃよくて、残りの本も取り寄せました。どれもごく短い話なんですけれども、心を撃ち抜かれる。
それから短篇を3作ほど訳す機会がありましたが、あとは老後の楽しみにとっておこうなんて思っていたら、2015年にルシア・ベルリンのべスト集が出たんですね。それがアメリカの各新聞雑誌の年間ベストテンの上位を席巻するほど評判になった。
それで出したのが『掃除婦のための手引書』です。底本に収録されている四十数篇全部だと分厚くなりすぎるので、半分強を選んで訳しました。はっきり言って、外国文学の知られていない作家で短篇集となると、ほぼ負け戦決定なんですよ。だから買いやすいボリュームで、ということで。
翻訳者は黒子ですけれども、本が世に出るまでは自分が一番その作家とその作品のことを知っているので、タイトルや装丁も含めてプロデュースする責任があると私は思うんですね。