翻訳家・岸本佐知子も知らなかった「'the'と'a'が無い英文」 に秘められた意味
2019年12月28日 公開
翻訳もエッセイも「受信」している
エッセイは連載を6、7年に一度本にまとめていて、今度は『ひみつのしつもん』というタイトルです。
昔、翻訳がすごくつらい時期があって、そのときはエッセイの仕事が救いでした。始めて10年くらいのときかな、けっこう行き詰まっちゃって。訳が間違ってるとか原書に比べてダメだとか言われたらどうしようと考えて、オウンゴール状態でした。エッセイは一から好きなこと書けばいいし、何書いたって怒られないから、書くのが息抜きだったんです。
それがいつの間にか逆転して、今はエッセイ書くのがつらくなっちゃった。エッセイを評価されると、逆にそれが重荷になっちゃって。
たぶんね、ほめられるとつらくなるんですよ、私。なんの取り柄もなかった人間が翻訳とかやらせてもらえるようになって、ちょっとほめられたりなんかすると、次でダメになるんじゃないかとか、お前のこと信じてたけどもうダメだねなんて言われるような気がして(笑)。
ただ、翻訳もエッセイもそんなに違わないのかなとも最近は思うようになりました。翻訳は作者が書いた文章を“受信”するというイメージがもともとあったんですけど、エッセイも同じような気がしてきて。
書いてるのは自分なんだけれども、自分の考えかどうかわからないんですよね。ただ、エッセイのほうはあんまり受信しないんで、締切が近くなるとつらいです。