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漢帝国と古代ローマ帝国が「ほぼ同時に衰退」した“偶然ではない”理由

神野正史(じんのまさふみ:予備校講師)

2020年01月13日 公開 2022年08月01日 更新

 

寒冷化が崩壊させた古代ローマ帝国

この時代に入るや、ついこの間まで「Pax Romana」「五賢帝時代」などと謳われていたのが嘘のように、一気に帝国の崩壊が始まります。

歴史に疎い者にとっては、「ついこの間まであれほど繁栄していた国がどうして!?」と訝しく感じるほどですが、前時代までの"平和"はあくまで「マイナスベクトル(崩壊)」と「プラスベクトル(温暖気候)」が±0となった絶妙な調和の上で保たれていただけの"見せかけの平和"であって、"支え(温暖気候)"を失えば一気に崩壊する程度のあやういものだった ─―ということを知っていれば、この時代の崩壊も当然のことと理解できます。

ローマでは、寒冷化の到来によって帝国の収益が急速に悪化し、その結果、兵への給与が滞ることが常態化していきます。兵の不満が募り、それはやがて各地で「兵乱」という形となって表面化していきました。

しかしながら。洋の東西と古今を問わず、"正統性"や"大義名分"を持たぬ叛乱軍など、「賊軍」の汚名を着せられて鎮圧・処刑される定めにあります。生き残りたいならば、叛乱軍は自らの"正統性"を掲げねばなりません。

こうして叛乱軍は勝手に「新皇帝」を祭りあげたため、帝国各地で皇帝を僭称する者が現れ、帝国は収拾のつかない大混乱に陥りました。

一兵卒が皇帝を僭称し、何人もの皇帝が併存して、血で血を洗うが如き混迷の時代を政治的には「軍人皇帝時代」といい、社会的・経済的には「3世紀の危機」と呼びます。

 

英雄にも止められなかった「ローマ帝国の分裂」

もはや「放っておけば解体に向かう」帝国を担うのに凡帝では荷が重く、帝国にふたたび統一をもたらすためには「英主」の出現が待たれますが、その歴史的役割を担って現れた人物こそがディオクレティアヌス帝です。

彼は対立皇帝・僭称皇帝をつぎつぎと討ち破って久しぶりの「単独皇帝」となり、ローマに再統一をもたらしました。

しかしながら、この偉業を成し遂げた彼の力量を以てしても、「もはや、解体しつづけるこの帝国を一人の皇帝で統治することは不可能」と悟り、「四分割統治(テトラルキア)」を断行。

したがって実質的な統一は10年と保たず、以降の帝国は「統一」とは名ばかりの分裂時代を迎えます。

次時代の「ローマ帝国の東西分裂」の前提条件はすでにこの時代に生まれていたのでした。

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同時期に中国各地にも現れた「皇帝」

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