「ラインオーバー」には、NOと言う
【荒木】著書には「ラインオーバー」という言葉もありました。価値観が単一になって人間関係の優劣がつくと、上の人が下の人のスペースに対し、ラインを超えて土足で入ってしまうみたいな状態が起きてしまうわけですよね。
【鈴木】そうなんです。ラインオーバーをされたまま、窮屈な生き方をし続けている人が多いんですよね。だからこそ、まず他人から何かをされた時の不快感や悲しい感情に気づくことが必要だと思います。
「その言い方は違うんじゃないか」とか「その内容には無条件に従いたくない」とか。そういった小さな違和感というのが、ラインオーバーのサインなんですよね。
そして、このラインオーバーの話は、実は会社組織以上に家族という場の人間関係に埋め込まれています。父親の酒癖が悪いとか、母親にヒステリーの傾向があるとか、家庭に安心がない場合だと、小さな子供が家庭を繋ぎ止める役割を担うケースがあります。
こうなると、安全確保のために、気づかぬうちに子供の頃から人のニーズを満たすために生きることが常態化してしまうんですよね。それでは、自分よりも他者の価値基準を優先してしまい、自分の人生を楽しめなくなってしまう。
華々しいキャリアの持ち主なのに自己肯定感が低い人というのは、そういう家庭的な背景が影響していることもよくあります。
【荒木】そういう人こそ、この本のタイトルにあるように「NOを言う」ということが必要になるわけですね。
【鈴木】おっしゃるとおりです。「NOを言う」というのは決して壁を作って生きろ、というわけではありません。ラインの内側は、自分だけが大事にできる領域だと意識して、その侵犯には厳しくNOと言う勇気を持つこと。これがあって初めて健全な人間関係が結べると思います。
【荒木】NOを言わずにラインオーバーをされ続けた人は、どうなるのでしょうか。
【鈴木】ラインオーバーをされ続けていると、人間は体調が悪くなるようにできています。片頭痛、喘息、胃痛、吐き気、めまい、そして会社に行く途中で涙が出たり気分が悪くなるといった症状が出てくる。嫌な上司がいる側の耳だけが聴こえなくなったというパターンもあります。
体感的には、頭痛が原因でクリニックを訪れる人の3人に1人くらいは、オーバーストレスによる症状ですね。胃痛の場合でも、メンタルストレスを背景にしている人の方が断然多いと感じます。ですので、こういうちょっとした身体の自覚症状が表れたときには、無理をしないこと。そして、実は身体ではなく心にダメージがあるかもしれないと思いを巡らせることが大事だと思います。
「セーブポイント」を確保する
【荒木】「無理をしない」というのは、具体的にどうしたらよいのでしょうか?
【鈴木】まずは「シンプルに休む」こと。そしてもう一つ大事なことは「遊ぶ」ことですね。この「遊ぶ」ことって実は難しいんですよね。「適応障害なので、しっかり休んで、それからしっかり遊んでください」と患者さんに伝えても、「どうやって遊んだらいいんですか?」と聞き返されることも。
自分が果たすべき役割を果たしていないという罪悪感が先立って、遊ぶことができない。そうなると休息によって体力は回復しても、精神的な回復までに至らないんです。だから、職場復帰してもすぐまたドロップアウトしてしまいます。
【荒木】一方で、リーダーの立場に立つと、組織として歯を食いしばって耐える時もあると思います。組織にどこまでストイックさを求めるべきなのか。そのさじ加減はどう考えたらいいのでしょうか。
【鈴木】人間のキャラクターって実にさまざまなんですよね。だからキャラクターによりけりです。追い立てれば燃える「戦士タイプ」もいれば、他人が気づいていない部分にちゃんと気づけるような「魔法使いタイプ」の人もいる。リーダーはそうしたキャラクターを見極めることが大切です。
体育会系の組織では、魔法使いに棍棒を持たせて前線に送り込んだりすることがよくありますが、それは戦略の間違い。本当は前線と離れたところで魔法を使わせた方がいい。腕力だけでなく、すばしっこさや魔法の力のレベルなど、多様な価値判断ができると、多様な人が活躍でき、楽しいと感じられる組織ができるはずです。
【荒木】この本の最後にはコンテンツは人を救う、というメッセージもありましたね。
【鈴木】人間には誰もが楽になれる場所、安心できる場所が必要です。たとえば現実の人間関係がうまくいかなくても、小説の世界に逃げ込めるとか、ゲームに救われるとか。僕も過去にかなりキツい時がありましたが、その時にはロールプレイングゲームに救われました。
現実に向き合わずにコンテンツの世界に逃げることは、ネガティブに捉えられがちですが、逃げ込む場所とか自分を立て直す場所としてのコンテンツの価値は、もっと広く知られてもいいと思います。ツラい人にとってはコンテンツが唯一の逃げ場かもしれない。
攻撃されない安全基地があるからこそ、外に一歩踏み出せることってありませんか。RPGにおける回復の拠点、いわば「セーブポイント」を一人ひとりがちゃんと持ってほしいなと思います。ちなみに、僕の「saveクリニック」の名前にもそんな意味を込めました。
【荒木】メディア上には、「辛い時にどうやって課題を解決していったか」というマッチョでストイックなストーリーが多いですよね。でもマッチョの世界観には危険性もありますね。
【鈴木】そうですね。戦士系だけでゲームは成り立たないですから。繊細で弱いと思われるところにこそ、豊かさの源泉があると思います。繊細さとクリエイティビティは表裏一体で、繊細だからこそ気づけるアイデアや出せる企画があったりするので。
僕はそういう「弱さ」に可能性が開かれる世界のほうがいいなと思いますし、そういうことが活かされるマネジメントというのは、レベルが高いと思います。この本を読んでいただいたことが、欠損を抱えた自分の「おかしみ」をポジティブに認められるきっかけになってくれたら嬉しいですね。完璧な人間なんて面白くありませんから。