よい大人ではなかった、よい先生
高校1年生のとき母が倒れてから、わたしは病院へお見舞いに通いつめていた。自宅から2時間くらいかかる場所にあったので、行き帰りだけで泥のように疲れてしまい、気がつけば授業で寝落ちしていた。
するとあっという間に授業がチンプンカンプンとなり、英語の授業などは特に、机に大好きなバンプ・オブ・チキンの歌詞を書く時間と化した。午前二時フミキリに望遠鏡を担いでいってる場合ではない。
塾に通うという選択肢もなかった。そんなお金、とてもじゃないがうちにはない。岸田家を構成するのは入院中の母、高齢の祖母、ダウン症の弟、そしてわたし。みんな必死に1日を生き延びる、満身創痍のチームだった。
「世界でいちばん簡単な参考書」と帯に書かれた参考書を手にとってみたものの、なにひとつわからなかった。もはや生まれてくる世界すら間違ってしまったのかと不安になる。
そんな折、さらなる「渡りに船」の情報を入手した。どれくらいの船かというと、プール・カジノ付きの20階建て豪華客船レベルだった。「渡りに豪華客船」といっても過言ではない。
近所にある整骨院の院長先生が、なんとその昔、大手の塾で英語を教えていたらしい。どんな経歴なんだ。しかしそんなことを気にしている場合ではなかった。
整骨院に飛び込んで、先生に事情を話した。すると先生は快諾してくれた。
ちょうど母が退院したタイミングだったので、3人でご飯でも食べながら戦略を練ろうということになり、我々は居酒屋に集合した。
模試の結果を見ながら話すかと思いきや、先生はいきなり1枚のプリントをわたしに手渡した。
「ほな、その線が引いてるところを和訳してみ」
プリントには、こんな英文が書かれていた。
This tree bears two good fruits, so I want pick that.
(この木はふたつの実をつけるから、わたしはそれを摘みたい)
ここからわたしが読みとれたのは、bear がクマということ、fruits がフルーツということ、picksがなんか引っかけるとかそういう意味っぽい気がしたことだけだった。
「この木に、わたしは2匹の……クマを……つり下げたい……?」
猟奇的すぎるわたしの発想に、先生はギャハハハと大笑いしはじめた。なんというかどう見ても、酔っぱらいにからかわれていた。大丈夫なのか。
「bearには実をつけるって意味があるんや」
「そんなの聞いたことないですよ」
「うん。受験で使うような有名な単語ではないからな」
そんなのわからなくて当たり前じゃないか。わたしはポカンとした。
「前後の文がちゃんと読めとったら、この単語の意味がわからんくても、なんとなく予想できるねん。ってことは、君は全然英語が読めてへんってことやな」
ガッハッハ、とまた笑いながら先生はビールをおかわりした。めちゃくちゃ不穏なすべり出しだけど、本当に大丈夫なのか。助けを求めるつもりで母を見ると、母はニコニコしながら七輪でスルメを焼いていた。どんな心境なんだ。
しかし、わたしにはもう後がない。先生についていくしかなかった。
寝ても覚めての英文のことばかり
先生は週1回、わたしに英語を教えてくれることになった。整骨院がとても忙しく、診察の休み時間に教えてもらうこともあれば、居酒屋で教えてもらうこともあった。
さすがに未成年を居酒屋に入りびたらせるわけにはいかないので、そういうときは、母も物見遊山でついてきた。どうでもいい話だが、母はスルメを焼くのがとても楽しかったらしく「北のオヤジ」という原型のないあだ名がつくくらい、焼くのが上手くなっていた。
先生は、お金も必要ないといってくれた。その代わりわたしに条件を出した。
ひとつ。先生が出す宿題を、なにがなんでもやってくること。
ふたつ。先生のやり方に、口を出さないこと。
わたしはふたつ返事で、わかりましたと答えた。
「これ、全部暗記な」
そういって先生は、わたしに短い英文が印刷されたリストを渡した。その英文の数なんと、500におよぶ。
「これを全部暗記ですか?」
「おう。和訳見ただけで、一瞬で英文が思い浮かぶまで覚えるんや」
「えーと、単語帳とかは?」
「いらん。この英文だけや」
びっくりした。英語の受験勉強といえば、なにはなくともまず英単語だと思っていたし、クラスメイトも分厚い英単語をすきあらば開いていた。それすらもいらないと先生はいうのだ。
「今日は……そうやな、10個でええわ。10個だけ暗記してみ」
最初の内は余裕だった。I want to study today.とか、It is beautiful mountain. とか、そんな英文だった。
でも20、30、と数をこなしていくと、途端に覚えづらくなった。和訳が書いてあるから読めないことはないものの、なんだか英文の構造が複雑で、とっつきにくいのだ。
「おっ。つまずいてきたか。それはな、文法がわかってないからや」
先生はなんだか楽しそうにいった。そしてわたしに1冊の分厚い本をよこした。英語の文法の参考書だった。めちゃくちゃむずしそうな本だなと思ったが、それもそのはずだ。学生が参考にする本ではなく、塾の先生が参考にする本だった。先生のお古だという。
「わからん文法はその本で調べろ」
「はあ、わかりました」
「そんで、俺に説明できるようになれ」
なぜなのか。わたしは困惑した。わたしが理解したならば、それでいいのではないか。
「アホか。患者に説明できないけど、参考書読んだから大丈夫ですっていう医者に、手術させるか?」
知識は人に説明できるようになり、はじめて理解できたといえるらしい。
薄々わかっていたが、この先生、異常に弁が立つのだ。いい負かすことなどできるわけもなく、しぶしぶわたしは、文法の参考書を開いた。
先生に文法の説明をしてみるものの「ぜーんぜんわかりませーん」「矛盾してまーす」など、憎にくたらしさを火にかけて煮こごりにしたような演技のオンパレードで、何度か参考書でなぐりそうになった。
寝ても覚めても英文のことばかり考えているので、夢にまで見るようになった。英文にうなされたのは人生ではじめてだ。