生きることが辛い人の心の底にあるものは何か。わたしたちはもっと自分にやさしく生きていいのではないか。
今まで多数の人生相談を受けてきた加藤諦三氏は、著書『自分にやさしく生きる心理学』にて、自身の人生経験を振り返りながら"他人から嘲笑(あざわら)われる人"の心理を解く。
嘲笑われることを好ましく思っていないのに、彼らはなぜ自分を否定してくる人から離れられないのだろうか。
※本稿は、加藤諦三 著『自分にやさしく生きる心理学』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
本当の自分を評価してくれる人をあなたは無意識に避けている
私は、小さい頃から自分の「親しい」人を一人一人よく思い出してみた。その時、先にも書いた通り、その共通性に腰を抜かすほど驚いたのである。
「親しい人」というよりも、具体的によくつきあった人、つまりそれぞれの時代に同じ時を多く過ごした人という意味である。なぜか私は、他者否定の人と結びついていった。
まったく違ったタイプの友人は、大学時代の親しい人である。これは選択の余地がなかった。私の学科には、私以外には2人の学生しかいなかった。つまり、3人で一緒に時を過ごすしかなかったのである。この3人とは同じ学科でもあり、かつ同じ研究会でもあり、親しかった。
しかし、もし私の進んだこのコースに100人の学生がいたら、私はやはり昔と同じタイプの学生と結びついていったのではないかと思う。そしておそらく大学時代の友人も、自分の父親と驚くほど似たタイプの人間であったに違いないと思う。
親密な人間の欠点を、ことさら取り上げて嘲笑(あざわらう)う。親密な人間の趣味や考え方をわざとらしく嘲笑う。こういうタイプの人間がいる。彼らにとって親しい人間というのは、あらゆる点で自分に従順な人である。ちょっとでも従順でないと、「嘲笑う」のである。
何度も言うが、彼らが嘲笑うのは、あくまでも彼らにとって「親しい人」なのである。したがって、それ以外の人は、彼らのこのいやらしい性格に接することがない。
彼らは自分の獲物に敏感である。誰が自分の指示通りに動くかということを的確に判断する。そして、自分に忠誠を尽くす人以外には、まったく正反対の立派な態度をとる。
嘲笑われているのは、忠誠を尽くしている人だけなのである。嘲笑う人は、自己否定的な人間に対してと、自己肯定的な人間に対してとでは驚くほど違った態度をとる。自己否定的な人は彼らに「なめられている」のである。
それにしても、人間というのは不思議なものである。自己否定的な人は嘲笑われ、なめられている人に忠誠を尽くし、従順であろうとする。そして自分のことを本当に大切にしてくれる人といることのほうがかえって緊張するのである。
けっして自分のことを嘲笑ったりしない人、けっして自分のことをなめていない人、自分の人格を大切にしてくれようとする人、そのような人を自己否定的な人は、かえって避けようとするのである。
淋しさから不当な扱いを喜んでいないか
それにしても、なぜこんな扱いをされても別れられないのか。なぜ「私を笑ってくれ」というような交流があるのか。
それは、たとえなぐさみものとしてであっても、関係がほしいのである。たとえなぐさみものとして扱われても、関係を断ちがたいのは、それだけ心の底で淋しいからである。さらに、このような自己否定的交流をする人は、他人から人格を尊重されて付き合った経験が乏しい。したがって、他人から人格を尊重されることの喜びを体験していない。
他人から人格を尊重されて付き合うことの喜びを体験していない者は、身近な者から馬鹿にされても怒らないのである。それどころか、馬鹿にされたり利用されたりすることをかえって喜ぶ。そんなかたちでしか、他人とつきあう方法を知らないのである。
私はある時期まで、ある身近な人たちのなぐさみものとしてしか生きていなかった。先にも書いた通り、私は大学院の学生時代にすでにベストセラーを書いていたので、私のことをよくやると尊敬してくれる人もいたようである。しかしそれは、そのある身近な人たちではない。
したがって「有名なあいつ」をこんなに馬鹿にした、というようなことを得意になって話す身近な人も、なかにはいた。有名なあいつを自分の手足のように扱って、こんなに荷物を持たせた、「わあっはっはっ」と私を馬鹿にする。すると私もそれに迎合して「わあっはっはっ」と面白そうに笑う。
ここに書くのもはばかられるほどひどく軽蔑した扱いを受けたこともある。そしてそれだけ私を軽蔑した人は、そのことをまた得意になって他人に言いふらす。するとその場に居合わせた私は、それに合わせて、また「わあっはっはっ」と笑う。
私がそういうことに怒りを感じはじめたのは、私自身が自己回復をしだしてからである。私自身の身近に私の人格を尊重してくれる人が現われてからである。「私もOKである。他人もOKである」という自他肯定的な構えの人とのつきあいがはじまりだしてからである。
【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。