同じ体験をしているにも関わらず、自分と相手とで記憶している内容に相違があり会話が嚙み合わない経験をしたことがある人もいるだろう。
どちらも自分の記憶が絶対に正しいと信じ込んでいるわけだから、いくら話し合っても埒はあかない。なぜ、すれ違いが起こってしまうのだろうか。心理学者の榎本博明氏が、記憶のメカニズムについて解説する。
※本稿は、榎本博明著『記憶の整理術』(PHP新書)より、一部を抜粋・編集したものです。
記憶はいつでも書き換えられる
記憶のスレ違いを引き起こす最も強力な要因に、記憶の書き換えがある。
記憶というのは生き物であって、写真やビデオ映像のように永続的に固定されたものではないということは、先に説明した通りである。
ゆえに、記憶された内容が、いつの間にか少しずつ変容していることがある。ときに大きく内容が書き換えられ、まるで違う出来事のように歪んでしまうことがある。
仕事の依頼内容や発注内容、上司から部下への指示内容、部下から上司への報告内容などに関する記憶のスレ違いに悩まされたことのない人はいないだろう。
依頼したはずの商品と違うものが届いて慌てたり、打診しただけなのに発注手続きをとられてしまったり、指示した内容と違うことを部下がしていたり、きちんと報告したはずなのに上司から何も聞いてないと言われたり。「そんなバカな」ということが、そこらじゅうで起こっている。
記憶という生き物は、時とともに容易に変容する性質をもっている。ゆえに、記憶のスレ違いは、しょっちゅう起こるものだと心得ておいたほうがいい。
記憶のスレ違いによる被害・損害を防ぐためにも、無用のトラブルを避けるためにも、口頭でやりとりした内容についてメールで確認するなどして、確実に双方の手元に証拠が残る形で保管すべきだろう。
記憶が変容するどころか、実際になかった出来事の記憶さえ捏造できるのだから恐ろしい(→「記憶の捏造実験」)。そのことは、多くの心理実験で確認されている。
アメリカの心理学者たちが行った実験に、次のようなものがある。実験協力者が子ども時代に経験している印象的な出来事をそれぞれの両親にいくつかあげてもらう。
それらの出来事に、実際に経験していない偽の出来事を一つ加えて、それぞれについて思い出すことをどんなことでもあげてもらう。
偽の出来事としては、ピエロが登場しピザが出てくる5歳の誕生パーティのエピソードが用意された。
その結果、実際に経験した出来事に関しては、最初の面接で84%が何らかのエピソードの断片を思い出すことができた。偽の記憶については、だれも何も思い出せなかった。ところが、2回目の面接では、偽の出来事に関しても20%が何らかのことを思い出したのである。たとえば、
「マクドナルドにいたとき、ピエロが入ってきました。みんなで小さなカップケーキを食べたと思います。13~14人いたかなあ、テーブルを囲んで座って、ピザを食べました」
というように、実際に経験していないにもかかわらず、非常に具体的な想起をしたのだった。
おそらく別の機会にマクドナルドに行ったときにピエロが出てきたということがあっただろうし、何かのパーティのおりにみんなでテーブルを囲んでピザを食べたこともあっただろう。誕生祝いにカップケーキを食べたこともあったのだろう。
何の素材もないところに偽の記憶が出来上がるというのは考えにくい。だが、実際に経験している記憶の断片をかき集めて、ひとつの偽の記憶を組み立てるということは、意外にしょっちゅう行われているのかもしれない。
自分の記憶を過信しない
自分の記憶をあまり過信せずに、歪みがあることを前提にチェックしてみる謙虚さも必要だろう。
人と話しているうちに記憶が書き換えられる人から思いがけないことを言われ、最初のうちは、「そんなことはあり得ない」と確信していたのに、話しているうちに、それらしき記憶の断片がチラつき始め、「もしかしたら、そんなこともあったかもしれない」という気がしてくる。
そのうちに、「たしかにそんなことがあった」と当初とは逆方向の確信をもつに至る。そんなことがあるものだ。とくに似たような経験を繰り返しているケースでは、そのような記憶の書き換えが起こりやすい。
お馴染みの取引先や、社内の上司や部下との間では、これまでにいろいろなやりとりをしているはずだ。
今回指摘されたようなやりとりは、自分は絶対にしていないとはじめのうちは思っていても、強く言われると、記憶の中を探ってみることになる。
相手はこちらを説得するために、関連しそうな記憶の断片をあれこれあげてくる。それによってこちらの連想が刺激され、記憶が活性化される。
これまでにさまざまなやりとりをしており、部分的にみれば似たようなやりとりもあったに違いない。その記憶の断片がしだいに引き寄せられてくる。
相手が主張する話と一致するような記憶の断片がかき集められ、それらの断片に辻褄の合う流れがつくられていく。
こうして思い出されたことは、記憶の再生というよりも、記憶の創作に近い。話の流れに沿って記憶が書き換えられたのである。
仕事上のトラブルの際の記憶の書き換えにしても、同窓会などで思い出話に花が咲いているときの記憶の書き換えにしても、実験の場合と違って、すでにオリジナルが存在しない。はっきり言って確認のしようがないのだ。
こちらの責任ではないのに、記憶の書き換えによって責任を負わされるのでは堪らない。
逆に、こちらの勘違いによって相手に偽の記憶を生み出させてしまう恐れもある。そういったトラブルを未然に防ぐためにも、記憶のマネジメントには十分な留意が必要だ。