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相手の顔色が気になる...交流分析が明かす「自分がない人」が見てきた親の態度

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2023年05月30日 公開 2024年12月16日 更新

相手の顔色が気になる...交流分析が明かす「自分がない人」が見てきた親の態度

常に他者の顔色をうかがい、自分の願望を伝えられない人がいる。早稲田大学名誉教授の加藤諦三氏は、情緒的に未熟な親のもとで育った人は「自己喪失感」を抱きやすいと指摘する。ありのままの自分をさらけ出せなくなってしまう背景には何があるのだろうか。

「素直なよい子」が、幼少期の歪んだ親子関係により、自分のために人生を歩めなくなってしまう理由について解説する。

※本稿は、加藤諦三著『人生の悲劇は「よい子」に始まる』(PHP文庫)より一部抜粋・編集したものです。

 

子どもの心を破壊するメッセージ

情緒的に未成熟な親のもとで育った人は、他人のお気に入りになることこそが、人から認めてもらう方法だと信じてしまう。

ありのままの自分では、誰も好きになってはくれない、そう思い込んでしまうのである。こうして自分を偽り始め、ついには実際の自分がわからなくなってしまう。

心理療法の技法の一つ、交流分析では、Don't be you(あなたであってはならない)という言葉を、「親が子どもの心を破壊するメッセージ」として取りあげている。

「あなたであってはならない」とはすごい言葉である。

子どもは親に気に入られるために、自分にとっては喜ばしい体験さえも否定してしまう。親のお気に入りの言葉を使い、お気に入りの態度をとらなければ、親はひどく不機嫌になるからだ。

これはまさに「あなたであってはならない」というメッセージそのものであり、子どもは自分の感じ方、考え方を断念するようになってしまう。自己喪失である。

私の幼い頃がそうだった。私はいつも父の気に入りそうな行動をとっていたが、それは具体的には社会的に偉い人をけなすことだった。そうしないと、父はものすごく不機嫌であった。そして「お前はそんな下らない駄目な人間になってしまったのか」というようなことを言って深い失望のため息をついた。

それは明らかに、「お前はお前であってはならない」という私に対しての強要であった。

子どもはとにかく、親が気に入る特性を身につけなければならないのである。親が気に入る特性を身につけた時にのみ、愛される。親の自己陶酔のために、愛されているのである。

そのように育てられた人は、どうしても心理的に不安定になる。成功している時のみ、相手が気に入ることを言っている時のみ、愛されるのであるから、逆にいつ相手から見放されるかわからないと感じている。その結果、周囲の期待に敏感になり、自分自身の願望は押さえつけてしまう。

こうして相手の気に入る人間になろうと努力すればするほど、自分に対する信頼感は失われていく。

 

「あるべき自分」が自己喪失させる

「お前が感じるように感じるな、私が感じるように感じろ」

これはグールディングという人の書いた交流分析の本に出てくる文章であるが、無意識的にこのように子どもに強制する親は多いようだ。

もっとひどくなると、「私が要求する」ように感じろ、ということになる。そのような親に従順に忠誠を誓っている子、それが「素直なよい子」なのである。

従順な子は自分の住んでいる世界に脅威を感じている。まるで知らない怖い動物に囲まれているように感じているのである。そして自分を守るために他人の欲求に敏感になり、他人の期待に応えようとする。それによって自分を危険な世界から守ろうとしているのである。

ロロ・メイは「親の期待にそって生きることは、親からの賞賛や賛辞を得る方法であり、『親にとっての掌中の玉』であり続ける方法である」(前出『失われし自我をもとめて』)と述べている。

それが、不思議なくらい問題のない子、素直なよい子、驚くほど問題のない子である。利己的な子、悪い子と思われることを恐れて、怒りを抑える。だから、自分をはっきりと主張できない。

そのようにして育つと「あるべき自分」が「実際の自分」に先行する。そして自分の可能性を実現しようとするよりも、「あるべき自分」になろうとする。その結果、実際の自分の人生を犠牲にすることになる。

したがって、生きる喜びの実感を失い、自己喪失に陥る。自分の生活を失い、自分の人生を失う。それが「自分がない人」である。

親の期待にしたがってのみ生きていれば、自分はこの人生で何をしたらよいのかということがわからなくなる。自分の内面に湧き出るものを感じることができなくなってしまう。

これは先に述べた「あなたであるな」というメッセージと同じである。現実の生活ではよく伝達されているメッセージである。

「親の目の中にある自分の役割、言いかえれば、自分自身の中に持ち運び、永続させているイメージに従って生活しなければならないなら、その人間には、自分の支持しているものはもちろん、自分が何を信じているのか、あるいは自分自身の力が一体どんなものなのか、こうしたことがわからないのである」(前出『失われし自我をもとめて』)

要するに、親の期待する役割のみを演じていれば、自己を喪失してしまうということである。その親の期待する役割を演じることが、実際の自分を裏切ることになる時、そうなるのである。

このような場合は「あなたであるな」というメッセージはよく理解できる。しかしこれと同じメッセージは、情緒的に未成熟な親からよく伝達されているのである。

たとえば子どもが適当な年齢になっても、不安な親は、子が自分から心理的に離乳することを望まない。そこで子どもは、自分の自立の願望を裏切って、いつまでも母親の「可愛い息子」でい続ける。自立できない弱々しい息子の役割を引き受けることが、親を喜ばせることになるからだ。

親に気に入られ、ほめられることが何よりも嬉しい子どもは、いつも親の期待する役割を演じることになる。

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他者との比較で自分を知る人

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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