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色とりどりの花に囲まれた「ガーデン葬」も...多様化する葬儀

釋龍音(僧侶)

2023年02月16日 公開 2024年12月16日 更新

色とりどりの花に囲まれた「ガーデン葬」も...多様化する葬儀

自分の葬儀をどのようにするか、生前から考えて計画を立てる人が増えています。火葬し、お墓に納骨する従来の葬儀だけにとどまらず、現代では様々な葬儀の仕方があります。昨今人気のある散骨葬や、樹木葬について、僧侶の釋龍音さんが解説します。

※本稿は、釋龍音著「多様化するお墓 尼僧が伝えたい令和の弔い方」(インプレス)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

遺族が遺骨を引き取らない「ゼロ葬」

『千の風になって』が紅白歌合戦で歌われたのは2006年。その4年後に宗教学者の島田裕巳氏が『葬式は、要らない』というタイトルの本を上梓されました。島田氏はさらに2014年に『0葬――あっさり死ぬ』という本を出されました。この時、都市部の仏教界の一部は、やや騒然としたのではないかと思います。

それまでも葬儀代や戒名(浄土真宗では法名と言います)の高さ、寺院墓地にお墓をつくるためにかかる高額な費用、永代供養料の多寡について悪評が消えることはありませんでした。

しかし、質素な暮らしむきのお寺もまた数多く存在しますし、墓地や納骨堂を持たないお寺もあり、要はお坊さんの人徳次第なので、「儲けすぎ」の問題はまったく自分とは関係ないと思っているお坊さんのほうが圧倒的に多いはずです。

しかし、それとお葬式が不要と言われるのは別問題です。

葬儀をせず、お墓もいらないとなれば、お寺もお坊さんも無用だということ。とりわけ不要と言われた遺骨はどうなるでしょうか。

火葬後に残った遺骨は法的に自治体の所有物となり、粉砕されて灰に。廃棄物として処分されることになります。これもただ廃棄するのではなく、弔意を示すために自治体が専門の処理業者に依頼して、独自の供養地に送られることが多いようです。

死者を弔いたいという人間の気持ちに疑う余地はありません。死を悼み、安らかに眠ってほしいと願う心に、宗教や信仰というものは介在してきました。

ということは、ゼロ葬は、既存の宗教・信仰に疑念を抱いた末の、あるいは確固たる死生観の持ち主が選択する、1つのスタイルかもしれません。

「葬式無用、戒名不用」と言ったのは白洲次郎です。しかしそれ以前に「葬式をしないように」と遺言したのは明治の思想家、中江兆民でした。

中江は幕末の土佐藩、下級武士の家に生まれました。血気盛んな薩長土肥の藩士たちは当時の日本を牽引するパワーに満ち、中江もその一人で、長崎でフランス語を学んだのち岩倉使節団に同行、1871年から2年あまりフランスで留学生活をおくります。

かの地で傾倒したのが自由と平等の精神を説いたジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』でした。帰国して彼は自由民権運動の啓蒙者となり、東洋のルソーと呼ばれるようになります。

人間は一人で生まれ、一人で死んでゆく。哲学が自らの糧である人間にとって、形式的な葬儀はさぞ無意味に映ったことでしょう。無宗教者であることを告げ、1901年に54歳で没した中江は港区の都立青山霊園に眠っています。

ところで、浄土真宗の宗祖・親鸞もお墓のことは言及していません。

親鸞の娘・覚信尼(の孫である覚如()(本願寺第三世法主)の書に「()親鸞閉眼せば(死んだら)、賀茂河に入れて魚に与うべし」とあり、浄土真宗の僧侶であればこの言葉を知らない者はいません。私自身、これに激しく同調します。

各宗旨のお寺の総元締めである本山=宗教集団が時の政治体制と折り合いをつける過程で、社会的な組織・団体に成長し、運営と維持が存亡のための重要課題となった時点で、葬送儀礼も一緒にくっついてきたと言えそうです。

そもそも仏教の真髄は「抜苦()与楽()」であり、苦しみを抜き、心を安楽な状態にすることにあります。苦しみとは「思うようにならない」こと。つまり、悩み苦しむ状態から解き放つ、生きるための知恵を会得するのが仏教の目指すところで、お坊さん=お経を読む人ではありません。

こう考えると、ゼロ葬は理にかなったものと言えそうですが、そんなふうに宣言できる人はやはり少数派かもしれません。

 

海への回帰「散骨葬」

太古の海にバクテリアが生まれ、藻が光合成をするようになって27億年経つと言われます。それまで地球の大気の主成分は二酸化炭素と窒素で、酸素はありませんでした。骨の成分は主にリン酸カルシウムとタンパク質ですが、火葬後、酸性の土壌やバクテリアによって徐々に分解されていきます。ただし、遺骨が骨壺に入っている場合は、分解されるとは考えにくいです。

リン酸カルシウムは水に非常に溶けにくく、その意味で、海洋散骨をしても遺灰は長く海に留まることになります。でも、地球が誕生して46億年、陸上が酸素に満たされ、魚類の一部が陸に揚がって4億年ですから、その長いスパンで考えると、やがて灰も分解されるのでしょう。

海洋散骨を希望する人たちのなかには原始の海への回帰や、大海原への憧憬、あるいは形あるものは無に帰すという宇宙観に共鳴し、生前に家族に遺言をする人が多い印象があります。

数年前まで、船を出して海に遺灰を撒くのでは、そのいっときしか故人を見送れず残念、というような感想も聞かれましたが、現在はそんな遺族の気持ちに応えて、散骨葬をおこなう業者がクルーズ船で遺灰を撒いた停船ポイントに連れていってくれるなど、葬儀後も再び拝む機会をつくろうとしています。

また、墓じまいをした人がお骨を遺灰にして散骨するケースもあります。

お墓がなくなり、骨壺だけになってしまった故人をどこかでちゃんと供養したいという気持ちの表れでしょう。「費用が安いから」という理由で散骨葬を選んでいる人は少ないと思われます。

海洋散骨ポータルサイト『やさしい海洋散骨』(運営:ライフエンディングテクノロジーズ株式会社)によれば、約9割の業者が散骨葬のニーズが増えていると回答(2021年)。まだ認知度が低い県もあり、広まるとともに増加していく傾向が見てとれます。

他方、一般社団法人「日本海洋散骨協会」がおこなったアンケートによると、70代以上で散骨を希望しないと答えた人は7割を超えていました(2015年調べ)。

遺灰が海の一部となることは、生物の進化の歴史を想い起こさせます。

最後に、海洋散骨は法務省により合法と認められていることを付け加えておきます。

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ブームが続く「樹木葬」

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