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修行中に受けたパワハラ...困難から救った“先輩僧侶の教え”とは

大愚元勝(住職・株式会社慈光マネジメント代表取締役)

2022年10月20日 公開

修行中に受けたパワハラ...困難から救った“先輩僧侶の教え”とは

昨今、社会問題になっている「パワハラ」。職場でパワハラを受けてしまったら、どのように対処すればよいのでしょうか。住職の大愚元勝さんが、自身の経験を踏まえて、パワハラとの向き合い方を語ります。

 

パワハラなのか、教育なのか、正しく理解する

「パワハラと言われることが怖くて、部下を注意できない」

私がYoutubeで発信している、お悩み相談番組『大愚和尚の一問一答』には、「職場の人間関係」に関する悲痛な相談が数多く届きます。

特に最近増えているのが、「パワハラ」について。「パワハラ」と聞くと、意地悪な上司から虐げられている可哀想な部下を想像するかもしれませんが、パワハラに関して悩んでいるのは、決して「部下」だけではありません。

部下の育成に頭を悩ませる「上司」もまた、「パワハラ」に関して苦しんでいる現実があります。

その1つが、先の「パワハラと言われることが怖くて、部下を注意できない」というものです。

上司がそのように悩む背景には、「ハラスメント」が、相手の意に反する行為によって不快な感情を抱かせることであり、行為者の意図は関係なく、相手が不快な感情を抱けばハラスメントとされてしまうからです。

そもそも「パワハラ」とはどのようなことを言うのでしょうか。

厚生労働省は職場のパワハラについて、「同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与えるまたは職場環境を悪化させる行為」という定義をしています。

具体的には、

・殴る蹴る、胸ぐらを掴む、タバコの火を近づける、物を投げつける、ゴミ箱などの物にあたるなど、身体的な威嚇や攻撃を行うこと。

・怒鳴りつける、侮辱する、他の人の前で長々と叱る、人格を否定するような言動を行うなど、精神的に苦痛を与えること。

・仕事から外して別室に隔離したり、無視したりして、職場で孤立させる。

・能力を大きく超えた仕事を丸投げしたり、達成不可能なノルマを課す。

・能力や経験に見合わない雑用のみをさせたり、仕事を与えない。

・職場外、業務時間外でも監視したり、プライベートに踏み込んだり、本人の了解を得ずに、個人情報を暴露する。

などの行為は、パワーハラスメントに当たります。これらの行為を意図的に、継続的に行う上司がいるならば、大問題です。

けれども、多少不器用ではあるけれども、情熱をもって仕事に取り組み、部下を育成しようと願う上司が、「パワハラ」と受け取られることを恐れて、「言うべきこと」を言わず、「なすべきこと」をやらせないならば、それも大問題です。

部下の成長を本気で望む「上司」が、会社から消えていってしまうのですから...。上司も一人の悩める人間であり、完璧な神や仏ではありません。

完璧ではない人間が、完璧ではない人間を、一人前に育てようとして葛藤している。かつて自分の親がそうであったように、職場の上司の中にもまた、そのような親心をもって指導してくれている人がいるかも知れません。

 

いざとなったら逃げてもいい

とはいえ、「パワハラ」が社会問題になると言うことは、それだけ「パワハラ」が蔓延している、と言うことでもあります。

私は大学院生時代に起業して、最初から経営者になりましたから、労働者として会社勤めをしたことはありません。しかし、3歳で経本を持たされて、禅僧の世界に、19歳で空手道場に入門して、武道の世界に入りました。

どこの世界にも必ず、「当たりの強い人」がいるものです。

僧侶の世界も武道の世界も、ある意味、特殊で閉鎖的な世界です。「当たりの強い人」に、それも強烈に「当たりの強い人」に出会ったときには、それはそれは悩み苦しみました。

大学を卒業し、22歳で横浜は鶴見にある大本山總持寺に修行に入ったとき、その苦悩から抜け出すヒントを下さった古参(修行道場における先輩僧のこと)に出会いました。

修行道場では、廊下などで先輩僧とすれ違うときには、廊下の端に身を寄せて、相手が通り過ぎるまで合掌低頭(がっしょうていず)することが作法です。

合掌低頭とは、「胸の前で両手を合わせて合掌し、頭を低く下げること」を言うのですが、道場に入門してしばらくは、そのような調子で先輩僧達と接するため、まともに相手の顔を見ることがありません。

しかし、低頭して、すれ違う先輩をやり過ごすため、草履に書いてある名前を見て、顔より先に先輩方の名前を覚えます。

草履の名前によれば、私に修行道場における「パワハラ」から、自分を救うヒントを与えて下さった「その人」の名前は、Tさんでした。

Tさんは、合掌低頭してTさんが通り過ぎるのを待つ私の真横で立ち止まり、静かな低い声でこう言ったのです。

「せっかく志をもってここへ来たんだから、苦しくても耐えろよ。でも、どうしてもこれは理不尽だ、どうしても許せないと思ったら...戦え!」

広い修行道場の中で、未だ見たことも話したこともない先輩に、すれ違いざまにかけられた突然の言葉。

しかしそれはちょうど、本当にちょうど、慣れない修行道場生活に加えて、ある古参から「強烈な当たり」を受けて、身体的にも精神的にも、追い込まれていたときでした。Tさんの言葉に、どれだけ救われた気になったことでしょう。

この話には、後日談があります。修行生活も一年が過ぎようとしていた頃、同期の修行僧たちと、入門当初の話をする機会があったのです。

その時、私がTさんの話をすると、同期の中で最も体が小さかった1人の同期が、「自分も同様の経験をした」と言うのです。

「私も同じことをTさんから言われたよ。でも、私の場合は、「戦え!」ではなくて、『逃げろ!』だったけどね」

Tさんは、私が空手をやっていたことを知っていたのかも知れません。Tさんは、彼が身体的に恵まれていないことを、気遣ったのかも知れません。

いずれにせよ、私はいざとなったら「戦えばいい」と思うことで、戦わずして「パワハラ」を超えることができました。そして、身体が小さかった彼は、いざとなったら「逃げてもいい」と思うことで、逃げずして辛い時期を超えることができたのです。

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