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アメリカでは犯罪の「養育費の不払い」...子どもの権利を放置し続ける日本

泉房穂(政治家、弁護士、社会福祉士)

2023年02月10日 公開 2023年02月10日 更新

 

やってるフリではなく「本気で」

こども食堂は、子どもが1人で行くことができる食堂です。ごはんを食べたあとは宿題を見てもらったり、困ったことがあったら話を聞いてもらうこともできる。歩いて行ける「子どもの居場所」。だから明石市では、すべての小学校区にそれぞれこども食堂があります。

人口30万人の明石市でも、小学校区は28に分かれています。普段から先生も親も、小学生には「子どもだけで学区外に出たらあかんよ」と指導しますから、子どもが自分の足で通える場所でなければ意味がありません。

国や県はなぜか「市町村に1、2ヶ所ずつあればいい」と言います。残念ですが、現場から遠い政治というのは「やってるフリ」をしてしまいがちです。

立派な食堂を1つ建てたところで、誰のためになるのかと疑問に思います。たとえ立派な箱ができても、子どもたちが自分で行けない場所にあれば、子どものためにはなりません。

明石市はフリではなく本気です。市内47ヶ所、日頃から身近な小学校区のすべてで運営を続けています。それらは単に「食べる」だけの場所ではありません。学校とは別の子どもの居場所であり、地域における「気づきの拠点」でもあります。

顔馴染みになれば、子どもが自らSOSを発しなくても「あれ、今日あの子来んけど、どうしたん?」「なんかいつも同じTシャツ着てるかも」と、ささいな変化に気づくことができるのです。

食堂に来る親の様子を見るだけでも、家庭の状況がかなりわかる。そこから児童相談所につないだり、子どもがいわゆる「ヤングケアラー」だとわかって、行政窓口につないだりすることもありました。もっと直接的に「親が学費を出してくれへん」と相談され、市の新しい奨学金制度につながったこともあります。

こども食堂に来る子だけではありません。こども食堂に来たほうがいいのに来ない子の情報も共有し、行政が家庭訪問をして、必要な子どもには食事を届けています。難しいことではありません。子どもたちに近い基礎自治体だからできることなのです。

とはいえ、全小学校区でこども食堂をするには、行政だけでは回りません。市の職員だけでなく、市民といっしょにまちづくりを進めていくことが不可欠です。

実際に明石のこども食堂は、飲食店もあれば、自治会、民生児童委員、地域のボランティアの方が公民館で開催するなど、形態はさまざまです。かつての総理大臣が、全国のこども食堂にこんなメッセージを送りました。

「あなたは決してひとりではありません。こども食堂でともにテーブルを囲んでくれるおじさん、おばさん。学校で分からなかった勉強を助けてくれるお兄さん、お姉さん。あなたが助けを求めて一歩ふみだせば、そばで支え、導いてくれる人が必ずいます」。

心底がっかりしました。市民がボランティアでなんとかやっているのが現実なのに「必ずいます」なんて、現場を知らなさすぎる。「公の責任をまったく果たす気がない」と、全国のこども食堂関係者は受け取ったことでしょう。

国民の日常生活から遠くかけ離れたところに政治があるのは、お互い不幸なことです。自らの政策理念を「自助・共助・公助」と述べ、「就任早々いきなり自助を勧めるなんて、政府の役割を放棄している」と批判された総理もいました。

 

市民の温かい思いをいかす“公助”を

全国の実態を見れば明らかなとおり、地域のこども食堂は「共助」の最たるものです。「共助」を行政が「公助」する。明石市では、こども食堂を開いてくれる方に公費を助成しています。開設に5万円、運営1回につき2、3万円。渡し切りで領収書の提出など求めません。

「不正受給が起こるのでは?」と心配されるかもしれません。もちろん要綱には「不正があれば返還を命じる」と書いています。それで十分です。

そもそも儲けがあるわけでもなく、ギリギリの額。レシートを日付順に並べて、ノートにペタペタ貼っていく。そんなことに時間を使うくらいなら、少しでも子どもの顔を見て遊んだり相談に乗ったり、いっしょに過ごしてもらうほうがいいに決まっています。

行政の仕事は、市民の悪意を暴くことではありません。市民を疑い、何千枚も領収書をチェックする暇があるなら、職員も現場に行って市民といっしょに野菜を切り、子どもに直接向き合えばいいのです。

子どものために動きたい市民に事務負担を強いるのは、筋違いです。市民の善意はできる限り子どもに向けてもらう。その妨げになる負担を取り除き、子どもを支援する市民を支える。それこそが行政の役割です。

まちの「共助」を行政が「公助」する。市民の温かい思いをまちと子どもたちに活かせるよう、すべてを任せて頼りっきりにせず、事務手続きも、広報の手間も、運営費用も、公の責務として日常的に支援する。

これが明石市のまちづくりのベースにある姿勢です。市民の「共助」があってこそ冷たい社会を変えていける。そう信じて市民とともに歩んでいます。

よく自治体の宣伝で、「〇万円あげるから移住しませんか」という話を見聞きすることがあります。でも、我が子の将来を考えたとき、本当に一時金だけで引っ越しをしていいのでしょうか。

札束で頬を叩くようなまちを本当に我が子の故郷にしていいのでしょうか。「それで人が来る」という発想自体が疑問です。市民をあまりにも軽く見ているのではないでしょうか。

一時的な損得でなく、日々の生活、将来への安心を地域や行政が提供できなければ住み続けることはできない。そう思えてなりません。

「お金の不安」と「もしもの不安」。2つの不安に真摯に向き合い、「安心」を積み重ねていけると信じられるからこそ、そのまちは選ばれ、人々が来る。明石市はそのような認識で子ども施策を実施しています。

単に施策の外形的な枠組でなく、そもそもの子どもやまちづくりへの思い、根本の「理念」をしっかり理解、共感いただき、市民といっしょにやさしいまちに変えたい。明石だけでなく全国の子どもへ広げたい。子どもに寄り添い、支援することが、子どもの未来にも、まちの未来にもつながると信じています。

 

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