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帰ると家の中が滅茶苦茶に...52歳で「若年性認知症」と診断された妻との生活

岩佐まり(フリーアナウンサー、社会福祉士)

2023年03月07日 公開

帰ると家の中が滅茶苦茶に...52歳で「若年性認知症」と診断された妻との生活

(写真はイメージです)

若年性アルツハイマーの母を介護している、フリーアナウンサーで社会福祉士の岩佐まりさん。岩佐さんの介護生活を支えているのは、仲間たちの存在だといいます。

岩佐さんの介護仲間で、「認知症の人と家族の会」や「若年性認知症家族会・彩星の会」で世話人を務める三橋さんの妻が若年性アルツハイマー型認知症と診断されたのは、52歳のときでした。

※本稿は、岩佐まり著『認知症介護の話をしよう』(日東書院本社)より、一部抜粋・編集したものです。

 

不調のはじまりは自律神経失調症

夕食のあと、テレビを見てたんですよ。カミさんと。そうしたら彼女がいきなり「苦しい、救急車を呼んで」って言い出したんです。

最初の診断は自律神経失調症だったんですが、翌年にはパニック障害とうつ病だと言われました。当時、1990年代の半ばは、まだそういう言葉が世の中ではあまり知られていなかったですね。私とカミさんは44歳でした。

カミさんには、家業の文具作りを手伝ってもらっていました。文具作りをはじめた親父と経理担当の母とで、本当に家内工業でしたよ。

大人しくていつもにこやかだけど、芯は強くてしっかりしている。カミさんはそんな女性でした。

カミさんの実家は茨城の農家でした。高校を出て食品メーカーに就職して、デパートに派遣されていたんです。そのときに、隣の和菓子屋でバイトしていたのが僕です。まあ、一目ぼれでした。

パニックはいったん収まったんですが、その後は、意欲の減退がひどかったですね。家事や料理をすることができないんです。食欲も落ちて、急激に痩せていきました。ただ、波があるんです。落ちるときは落ちるけれど、たまに元気になって「私もがんばらないと」なんて言ったりする。

そんな生活が何年も続きました。

通っていた心療内科では大量に薬が出ましたね。元気を出す薬、元気が出過ぎるとそれを抑える薬、胃腸薬……。そういう時代だったんです。一番多いときは、1日に28錠の薬を飲んでいました。

 

8年かかって確定した病名

でも効果はあまりなく、むしろ調子は悪くなっていきました。ついには食べることが出来なくなってしまい、全然食事が摂れなくなっちゃったんですね。病院はいくつか行きましたが、どこもうつ病か更年期障害という診断でした。

カミさんもほとんど横になったままになっちゃって、いよいよまずいと思っていた頃、評判のいい精神科クリニックを見つけたんです。

初診では、2時間くらいかけてじっくりと診てくれました。その後MRIも撮ったんですが、異常はない。それで、3回目の診察で先生が言ったんです。「認知症かもしれない」と。

当時は、ちょうど「痴呆症」という呼称が「認知症」に変わった頃でした。僕にも聞きなれない病名でしたけど、紹介された大きな病院で長谷川式認知症スケールのテストなどいくつかの検査をして、「若年性アルツハイマー型認知症」だと確定しました。

カミさんはもう52歳になっていました。病名が確定するまで8年もかかったんです。

40代の後半は、いわゆるMCI(軽度認知障害)の状態だったんだと思います。確定した段階で、すでに中期まで進んでいると言われましたね。長谷川式は30点満点で、20点以下だと認知症の疑いがあると判断されるんですが、カミさんは17点でしたから。

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中核症状で「親の死」も認識できず

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