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「反省のため修行したい」僧侶を困らせる、不祥事を起こした著名人の自惚れ

大愚元勝(住職・慈光グループ会長)

2023年06月14日 公開 2024年12月16日 更新

「反省のため修行したい」僧侶を困らせる、不祥事を起こした著名人の自惚れ

昨今、「自己肯定感を高めたい」と考える人が多くいます。巷には自己肯定感を上げるための情報が溢れていますが、努力をしたところで簡単に自尊心を養うことは難しいものです。僧侶の大愚元勝さんは「本当の意味で自分に自信を持つこと」の意味を語ります。

※本稿は、大愚元勝著『自分という壁 自分の心に振り回されない29の方法』(アスコム)より内容を一部抜粋・編集したものです。

 

自己肯定感を無理やり高めることはできない

同じ言葉でも受け止め方によって、救われることもあれば、逆にストレスを感じてしまうこともあります。

例えば、「自尊心(自己肯定感)」という言葉は、どちらかといえばプラスのイメージでとらえられることが多いでしょう。

最近は「自己肯定感を高めよう」ということがブームのようになり、逆に「自己肯定感が低い人は生きづらい」という風潮にもなっていました。書店には自己肯定感を高めるための本がたくさん並び、セミナーなどもあちこちで開かれていましたよね。

心理学の研究によると、自己肯定感には潜在的なものと顕在的なものがあるのだそうです。

「無意識のうちにある自己肯定感」「自分が意識している自己肯定感」ひと口に自己肯定感といっても、その性質には大きな違いがあったのです。

潜在的な自己肯定感と、顕在的、つまり表向きの自己肯定感の両方がつねに高い人は、仏教的にいえば心が非常に安定している状態です。

一方で、潜在的な自己肯定感が低いにもかかわらず、「自己肯定感を高く保とう!」と表向きの自己肯定感を強引に引き上げている人は自惚れやすく、俗にいうナルシストになりやすい傾向が見受けられます。これ見よがしに「自分は自己肯定感が高い人間です」という振る舞いをするわけです。

そのような人は、もし自分が傷つけられそうな出来事に遭遇したり、自分の評価が下がったりしそうになると、「私はすごいんだ!」「あの人よりも自分のほうが上なんだ!」という自己暗示のようなポジティブシンキングで、必死で自己肯定感を高く保とうとします。

要するに、自己肯定感が下がってしまうことを極端に恐れているため、意識的に表向きの自己肯定感を高めようとしており、無理をしてその努力をし続けている状態といえるでしょう。

これはかなり病的な行為といっても差し支えなく、どうしても自己防衛的になってしまいますので、やはり心身の健康が崩れやすくなります。

自己肯定感を高めようとする気持ちや努力は悪いことではありませんが、「人は無意識が9割」ともいわれるように簡単に人間の根底は変えられません。

つまり、いくら表向きに「自分はすごい!」「自分大好き!」と取り繕っても、潜在的な自己肯定感が低い、本当の意味で自分に自信がないままではボロが出てしまうということです。

 

「自分を良く見せたい」という自惚れは非常にやっかい

例えば、表面的にはすごく明るくて、とにかく前向きなイメージがある著名人の方などが、メンタルを病んでドラッグに溺れてしまったり、最悪の場合には自ら命を絶ってしまったりする。

昨今では、そういった悲しいニュースも珍しくありませんが、おそらくテレビなどを通して私たちに見せている姿と本質的な自分の姿に大きな違いがあるのでしょう。顕在的な自己肯定感だけでは、どうにもならないことがあるのです。

よく、不祥事を起こした方が反省の色を見せながらなにかを成し遂げ、メディアを通じて再起を誓われたりしますが、私からいわせれば、そんなことで自分の心を変えられるのなら苦労はしません。

「反省するために座禅をさせてください!」
「間違いを犯した私を大愚和尚のところで修行させてください!」

そのような建前で福厳寺にいらっしゃる芸能人やスポーツ選手、企業の社長さんなどもたくさんおられますが、私は一貫してお断りしています。

全員がそうだとはいいませんが、大半の方々は「私は修行しました!」と得意げにカメラに収め、もう一度社会からの信用を取り戻したい―そういった算段で動いているからです。それこそ、最初からカメラマンを同行させている方もいらしたりします。

「その人の言っていることではなく、行動を見よ」とは、まさにこのこと。そのようなうわべだけの修行をしたところでその人の人格は変わりませんし、「そんなことのためにお寺を利用しないでください!」とお引き取り願うことが日常茶飯事です。

本当に自分の行いを見直したいと思うのであれば、黙ってやればいいのです。それをメディアやSNSを通じてアピールしている時点で、「自分を良く見せたい」という欲でしかありません。謙虚なように見せて、じつは自惚れているという人が、とても多いのです。

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自分ができることとできないことを自覚する

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