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ハーバード大学が84年かけて解明した「幸福な人生を送る人」の特徴

ロバート・ウォールディンガー(ハーバード大学医学大学院教授)、マーク・シュルツ(ハーバード成人発達研究副責任者)

2023年07月14日 公開 2024年12月16日 更新

 

心がさまようと不幸になる

過去を思い起こし、未来を予測するという認知能力があるからこそ、私たちは毎日が非常に多忙だと感じてしまう。

問題は、その日のうちに完了しなければいけないタスクの数ではなく、私たちの注意を引く物事の数が多すぎることにある。一般的に「気が散る」と呼ばれている状態は、過剰な刺激にさらされている状態ととらえるほうが理解しやすい。

最近の神経科学の研究によれば、人間の意識は一度に一つのことしか処理できない。複数のことを同時に行うマルチタスクができている感覚があったとしても、実際には一つずつ切り替えながら対処しているにすぎない。

マルチタスクは脳に大きな負荷がかかる。タスクの切り替えには、労力と時間(この時間は測定可能)がかかるからだ。しかも、元のタスクに戻り、その対象にしっかりと注意を向けるには、さらに時間がかかる。

生じているのは時間的なコストだけではない。注意の質もまた、犠牲になっている。常に注意の対象を切り替えていると、しっかり集中できないし、集中した心があればこそ得られる喜びや効果も十分に味わえない。

現代人は、注意を常に微細に調整しながら生きている。作家兼コンサルタントのリンダ・ストーンの言葉を借りれば、「注意力が常に断片化される」状態で生きているのだ。

人間の意識は、一般的に思われているほど機敏ではない。ヒトの脳はハチドリというよりフクロウのように作動するよう進化してきた。人間の意識は「何かに気づき、注意を向け、集中する」という段階的な手順を踏む。

1つの対象に強く集中して初めて、人間ならではの高度な知的能力が発揮される。1つのことに集中するとき、人間の思考力、創造性、生産性は最大になる。

だが情報端末のスクリーンだらけの21世紀の生活では、フクロウのように大きくて扱いにくい人間の心が、せわしなく動き回るハチドリのようになってしまう。

注意を向ける先を次から次へと無駄に変えざるを得ない。明けても暮れてもこの状態が続くと、心は不安を引き起こす不自然なモードに慣れてしまい、栄養となるものを見つけられなくなる。

ネズミが雪の下で立てる音に集中して耳を澄ましているフクロウと、千本の花から微量の蜜を必死に集めるハチドリでは、どちらのほうが忙しいと感じているだろうか? 最終的に心の栄養状態がよくなるのは、どちらだろうか?

 

「注意」と「気配り」こそ、人生の本質だ

注意を向けることの価値を知ることは大切だ。では、人生のなかで人間関係に注意を向けるとは、実際にはどのようなことだろうか?

高校教師のレオ・デマルコのケースを見てみよう。本研究の被験者の中で最も幸福な男性の一人と見なされている人物だが、時間と注意をどのように管理していたのだろうか。

レオは高校教師として多忙を極めていた。生徒たちとの交流も深かった。彼を知る人たちによれば、彼ほど熱心に生徒たちと関わる教師はまず見当たらなかった。常にやるべきことはもっとあると思っていたし、悩んでいる学生がいればためらうことなく手を差し伸べ、我が子を心配する親がいれば面会した。

課外活動にも熱心に関わっていたため、放課後や週末を必ず子どもたちと過ごせるわけではなかった。家族はレオと一緒にいるのが大好きだった。彼は聞き上手で、いつだって気の利いたジョークを口にする人だった。その分、離れていると寂しさが募ったし、レオが家庭よりも仕事を優先しているのでは、と感じることもあったという。

たしかに、レオにとって仕事は重要だった。仕事に生きがいを感じていたし、本研究の調査でも、仕事のおかげで同僚や生徒をはじめ地域の人々から慕われているのを実感している、と何度も言っていた。

仕事がもたらす生きがいは、幸福やウェルビーイングにとって重要だが、家族との時間など、他の優先事項とぶつかることもめずらしくない。さまざまな物事が注意を奪い合う状況は、多くの人を悩ませている難しい課題だ。しかし、解決不能というわけではない。

レオの家族は、自分の気持ちを伝えることをいとわなかった。妻のグレースも率直に思いを伝えたし、二人の娘と息子も同じだった。

1986年、長女のキャサリンに父親とのいちばんの思い出を尋ねると、一緒に出かけた釣り旅行のことを懐かしそうに話してくれた。レオは毎年、夏休みに自分の子どもを一人ずつ、釣りのできるキャンプ場に連れていき、1週間をともに過ごした。

キャンプ場や釣り場は毎回違っていた。キャサリンの記憶によれば、旅の間は、ただ釣りをするだけでなく、レオが彼女に注意深く気を配り、毎日の生活のことや彼女が考えていることを尋ねてくれた。

休み中も教師の性分は抑えられず、針や浮きの取り付け方、魚の隠れ場所、火の熾こし方、夜空に浮かぶ星座の見分け方を教えてくれた。レオは、子どもたち全員に自力でキャンプと釣りをする方法を教え込んだ。

そうすれば、自然の中でも生きていけるだろうし、彼らが子どもをもったときには、親子キャンプの伝統をきっと引き継いでくれるはずだと思っていた。

レオは、妻のグレースにもしっかりと注意を向け、気を配っていた。80代前半で、夫婦でどんな活動をしているかと尋ねられたレオは、こう答えている。

妻とは一緒にガーデニングを楽しんだり、ただ一緒に散歩をして、景色のことを話したりしています。昨日は5、6キロほどハイキングをしました。暖かい服を着込み、森の奥深くで、小川からカモが飛び立つのをじっと立ち止まって眺めたりしました。

私の人生にはそんな瞬間がたくさんあるし、夫婦でそういう瞬間をともにしているんです。あるいは、本を読むときも、妻が興味をもつ部分がわかるので、教えてあげたりすることもあります。彼女も私に同じことをしてくれます。

これらはレオとグレースの人生の日常に起こる小さな出来事、小さな瞬間だが、一生涯を通じて積み重なれば、大きな意味をもつ。「注意は愛の最も基本な形だ」と言われる。レオが被験者の中で注意を向けることに長け、存在感があり、なおかつ最も幸福度が高い人物であることは、偶然ではない。

レオをはじめ、1940年代、50年代、60年代に子どもを育てた第一世代の被験者の目には、21世紀のオンライン生活がSFの中の出来事に見えるはずだ。当時の親たちには、誰もがスマートフォンを持ち、SNSが普及し、情報や刺激が氾濫する状況がもたらす苦労はなかった。とはいえ、人間関係の苦労については、見た目よりずっと共通点があるはずだ。

1946年、後に世界的な映画監督となる若き日のスタンリー・キューブリックが、総合誌『ルック』に、今ではすっかり有名になった写真を発表した。ニューヨークの地下鉄の車内で、満員の通勤者たちが一人残らず、あるものに頭を突っ込んで読みふけっていた──新聞だ。

それに、第一世代の被験者の多くは、今の人と同じ不安な思いを口にしていた。家族に十分に注意を向けるのは難しいし、仕事には忙殺されるし、世の中は慌ただしくなるばかりだし、子どもの将来が心配だった。

それに、当時大学生だった被験者の89%は第二次世界大戦──当時はまったく先の見えない、破滅的な戦争だった──に従軍し、その後、核の恐怖に覆われた冷戦時代に子どもを育てた。家庭では、インターネットではなく、テレビが子どもや社会に与える影響を懸念していた。

つまり、苦労の質や規模には違いがあり、社会の変化のスピードも今ほど激しくはなかったが、人間関係を育むための効果的な解決策は今と同じだった。それは、時間と注意を今、目の前にある時間のために使うことだ。注意こそ人生の本質であり、時代を超えた、変わらぬ価値があるものだ。

 

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