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生き方

幼少期に心の傷を負った人が“生きづらさ”を手放す4つの方法

ロバート・ウォールディンガー(ハーバード大学医学大学院教授)、マーク・シュルツ(ハーバード成人発達研究副責任者)

2023年07月24日 公開 2023年12月19日 更新

 

幼少期につらい経験をした人が人生を変えるには

では、苦労が多く、心が深く傷つくような子ども時代を送った人は、どうすればいいのか? 幼少期は苦しいことばかりだったという人にも、希望はあるのだろうか?

答えははっきりと、イエスだ。希望はある。これは、幼少期につらい経験をした人だけではなく、今まさに苦難を抱えている人にも当てはまる。経験が人生を形づくるのは子ども時代だけではない。どんな時期の、どんな経験にも、他者との関係の築き方を変える力がある。

非常にポジティブな経験によって幼少期のネガティブな経験が修正されることはよくある。暴君のような父親のもとで育った人が、のちにまったく違うタイプの父親をもつ人と友達になることもある。

最悪の父親像とは異なる友達の父親のおかげで、人生観が少しずつ変わっていくかもしれない。すると、他の生き方をもっと受け入れるようになるかもしれない。

自覚があるかどうかは別として、人は常にこうした経験を繰り返している。人生とは、長い時間をかけて幾度となく軌道修正していく1つのチャンスだともいえる。

例えば、よいパートナーとのめぐりあいは、幼少期に身につけた思い込みや期待を修正するのに大いに役立つ。常に自分を大切に考えてくれる大人とのつながりが生まれるという意味で、心理療法も役に立つ。

人生の軌道修正を促す経験が得られるかどうかは、単純に運次第というわけではない。世界観を変えてくれるチャンスは絶えずやってくるが、ほとんどが過ぎ去ってしまう。思い込みや自分の意見に固執するあまり、さりげなく訪れるチャンスを受け入れる余地がないだけだ。

しかし、目の前に訪れるチャンスを見出し、軌道修正のチャンスとして活用するためのシンプルな方法(ただし簡単ではない!)はいくつかある。

1つめは、ネガティブな感情から目を背けず、しっかり注意を向けること。人生の課題や問題に取り組むには、反射的にわき上がってきた感情を放置せず、有益な情報としてとらえる必要がある。

2つめは、想像していた以上にポジティブな経験が訪れたときには、そのことに気づくこと。例えば、何ヵ月も前から気が重かった家族の集まりの最中に、ふと、とても楽しいと感じている自分に気づくときがそうだ。

3つめは、他人のよい行動を「キャッチ」するよう努力することだ。人は、他人のよくない行動にはすぐ気づくけれど、よい行動に気づくのは下手だ。

路上でも、よいドライバーは目立たないが、悪いドライバーほど目立つ。そのため、人は悪い運転をするものだと学習してしまい、そう想定して備えてしまう。人生についても同じだ。よいドライバー、よい人に目を向けることが大事だ。

4つめは、人は予想外の行動をとるものという考えを持ち続けること。いちばん効果のある方法だ。人の行動に驚く心構えが備わっていれば、誰かが自分の想定とは違うことをしたときに気づきやすくなる。この種の気づきは、家族との関係の中ではとりわけ重要だ。

どんな家族も、メンバーは互いに対するイメージを育み、ことあるごとにそのイメージを固めていく。姉はいつも偉そうだ、父はいつも私にきつく当たる、夫はいつも本当に気が利かない、といった具合だ。

これは「あなたはいつも/あなたは決して」式思考と呼ばれる罠だ。家族との経験はごく幼い時期から始まるため、相手との関係に対する期待と思い込みは心に深く刷り込まれる。どんなに些細なことであれ、何かが起きるたびに、印象が重なり刷り込まれていく。

自分が生涯を通して変化していくように、家族もまた変わっていくということを思い出さなければいけない。あの人はこういう人、と決めつけてしまうと、相手の変化に気づけなくなる。

今日、父が電話をくれた。父はいつも私から連絡するのが当たり前と思っていたのだから、これは大きな前進だ。

今夜は娘が弟の宿題を手伝っていた。思いもよらないことだったけど、あとでちゃんと感謝を伝えておこう。

義母とはずっと距離があったけど、この前、子どもが病気になったときに駆けつけてくれた。彼女は努力してくれている。ありがたいことだ。

日常的に周りで起きていることを察知し、注意力を高める方法として瞑想を紹介した。瞑想は家族との交流にも有効だ。家族を目の前にしているときには、「この人について、今まで気づいていなかったことは何だろう?」と自問してみよう。

この問いは、人間関係についても活用できる。「この人との関係において気づいていなかったことは何だろう? 私が見逃していたものは?」と自問してみよう。

大勢の家族が集まる感謝祭のディナーで「世の中の人はみなコンピューター・プログラミングを学ぶべきだ」と言い張る義兄の隣に座る羽目になったとき、あるいは延々と愛犬の話をしたがるおばにつかまったとき、少なくとも最初の数分間はさきほどの質問を活用してみよう(普通は数分が精一杯だ)。

「この人について、今まで気づいていなかったことは何だろう?」と考えてみれば、意外な発見があるだろう。

確信をもって言えることが1つある──人生で出会うどんな人も、完全には知り尽くせないということだ。未知の部分は常にある。それらを発見し心に刻むことで、誰よりも付き合いの長い人たち──家族──との関係を妨げていた偏見を正せることもある。

 

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