ユング心理学では、人間の生命活動を支える力(心的エネルギー)を生み出すのは「こころ」であると定義する。こころの働きについて知ることで、不安や無気力といった感情の原因を知る手がかりとなるのだ。本稿では山根久美子氏が、心的エネルギーについて詳しく解説する。
※本稿は、山根久美子著『自分を再生させるためのユング心理学入門』(日本実業出版社)から一部を抜粋し、編集したものです。
フロイトとユングの見解の相違となったリビドーの解釈
私たちの内なる家であるこころは、独自のルールを持ち、独自の考えで動いている。そして、私たちが日々考え、感じ、行動する原動力となるエネルギーを生み出している。
フロイトは、このエネルギーをリビドー(libido)と命名した。フロイトによれば、リビドーは無意識から湧き上がってくるもので、私たちを動かす根源的な力である。
リビドーをこころが生み出すエネルギーとする考え方は、19世紀に目覚ましい発展を遂げた物理学のエネルギー保存の法則の影響を受けている。エネルギーは人間が想定した概念であり、物質として見たり手に取れたりするわけではないが、物理学ではこの世で起こるあらゆる物理的な変化にはエネルギーが関与していると考えている。
エネルギー保存の法則とは、「エネルギーはその形態を変えたり、移動したりするけれども、その総量は変化しない」という1840年代に確立した法則である。エネルギーはその形態を変えても、全体の量は変わらず、増えたり減ったりしない、ということだ。
フロイトは、この法則を援用して、例えば自分に向けられるリビドー(自我リビドー、自己愛)が増えれば、自分以外に向けられるリビドー(対象リビドー、対象愛)が減る、というように、リビドーを量的な概念としてとらえていた。
ユングもまた、こころは私たちを動かすエネルギー源だと考えていた。ただ、フロイトは人間の活動の根本には性的な欲求があるとし、リビドーには性的な性質があると主張したが、ユングにとってのリビドーは性欲だけに限らず、人間の生命活動全般を支えるこころを源泉としたエネルギーを意味していた。
このリビドーに対する見解の相違も、フロイトとユングの決別の要因の一つになった。
こういった経緯から、ユングは「こころから湧き上がってくる根源的な生命エネルギー」を表す用語として、リビドーだけでなく心的エネルギーも使用している。
つまり、ユング心理学においては、こころが人間の生命活動を支える力を生み出す源泉であり、その力が「エネルギー」としてとらえられている。
物理学の法則とこころの法則には共通点がある
ユングは、心的エネルギーには3つの法則があると考えていた。
心的エネルギーは物理学の影響を受けた概念なので、これらの法則にも物理学が援用されている。しかし、単純に物理学の法則を当てはめたわけではなく、こころを源泉としたエネルギーである心的エネルギーについて説明するのに、物理学の観点が適していたということだろう。
ユングは医者で、自分の心理学を通じて科学の範囲を広げたいと考えていたから、物理学を通じて演繹的に、そして自分の体験やクライエントたちとの臨床経験から帰納的に、この3つの法則を導き出したのだろう。
さらにいえば、そもそも物理学自体が自然現象や宇宙についての普遍的な観点を見出そうとする学問だから、こころに関する現象を自然現象や宇宙の一環とみなせば、物理学の法則とこころの法則に共通するところがあっても何ら不思議はないと思われる。
それでは、心的エネルギーの3つの法則をそれぞれ見ていこう。