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[全員経営の凄み]日本型セムラーイズムを求めよ!

岡本豊(岡本国際問題研究所所長)

2012年07月11日 公開 2022年11月10日 更新

[全員経営の凄み]日本型セムラーイズムを求めよ!

日本が世界経済のリーダーとして再起するには、どうしたらよいのか。『セムラーイズム─全員参加の経営革命』を翻訳した岡本豊氏によれば、日本の歴史・文化を振り返り、新たに、この国にふさわしい個人主義をつくることが重要だと語る。日本経済の未来を変える、経営改革のヒントを紹介する。

※本稿は、『PHP Business Review 松下幸之助塾』2012年7・8月号Vol.6』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

セムラーイズムはそのままでは使えない

1994年に『セムラーイズム─全員参加の経営革命』を翻訳刊行したのは、セムラー氏本人からの申し出がきっかけだった。

彼は20歳でハーバード・ビジネス・スクールを卒業している。私も1960年代にハーバード大学大学院で委託研究員として研究に従事した関係で、セムラー氏から電話をもらい、アメリカで出版された原著『Maverick』についてどう思うかと聞かれた。

「これは凄い本だ。日本に合うかどうか分からないが翻訳してみよう」と言うと、「ぜひお願いします」と依頼されたので、本書の翻訳を引き受けた。

ブラジルのセムコ社でセムラー氏の全員参加型経営が成功したのは、アメリカ大陸にはもともと、先住民族の個人主義的な生活意識が文化的な背景として存在していたからである。

いま盛んにグローバリゼーションということがいわれるが、いわゆる全員参加型経営は、個人が経営に参加する気にならなければ成り立たないし、どうしたら皆が経営に参加したくなるかも、その国の文化によって異なる。

その意味で、「セムラーイズム」とは「企業内での民主主義の実現と人間性の復権をてこに、個人主義社会内での集団構成員に自主性とやる気を持たせる」ための実験的な試みである。だから欧米的な個人主義の社会であれば、セムラー氏のやり方がそのまま適用できる。

ところが日本は、欧米的な個人主義の社会ではないから、「セムラーイズム」をそのまま導入するとか、いいとこ取りをするという意味では"使えない"。それはなぜかを理解し、日本社会は、欧米社会とは異なるということに気づくだけでも、「セムラーイズム」に学ぶ価値があると私は思う。

 

みずからの手で壊した日本の全員参加型経営

日本流の全員参加型経営といえば、松下幸之助氏の「社員稼業」や「衆知を集める」という考え方が代表的である。松下幸之助氏が明治以後の日本で行なったやり方と、セムラー氏がブラジルで考えて実践したことはきわめて類似している。ある意味で、それらは「東西のペア」と呼んでもいいだろう。

ただし、セムラー氏は中南米に必要な形で全員参加型経営を行い、幸之助氏は日本で可能な形でそれを実践した。その意味で、幸之助氏流の全員参加型経営は、日本でなければむずかしい。

そもそも日本には、全員参加型の組織運営原理のプロトタイプ(原型)が伝統的にしっかりと存在していた。

これは、明治以後の近代的企業における人事管理と組織運営の原理として継続的に利用されただけでなく、戦後も終身雇用、年功序列、企業内組合という「三種の神器」による全員参加型の経営管理システムに引き継がれ、日本経済の復興と成長を大きく支えた。

だが、日本がネオ・リベラリズムを、アメリカから無批判に取り入れたことは非常に大きな問題である。この「三種の神器」が崩れてしまったら、雇用形態が不安定化し、日本型の全員参加型経営が継続できなくなるのではないかという危惧を、私は当時から抱いていた。

ところが日本人は、伝統的に受け継いできた全員参加型の組織運営原理を、みずからの手で壊すほうに動いてしまった。このままでは遅かれ早かれ、日本型の全員参加型経営はなくなってしまうだろう。

にもかかわらず、政府にしろ企業側にしろ、トップにそういう危機感がないことが、きわめて残念である。アメリカのいう通りにやっていれば、すべてうまくいくのではないかと思いこんでいる。日本独自の全員参加型の組織運営原理を壊してしまったあと、いったいどうすればいいのかということに、まったく考えが及んでいない。

 

欧米の借り物ではない日本型個人主義を確立せよ

日本には「松下幸之助イズム」というものがあり、彼は「セムラーイズム」よりもずっと前からそれを実践していた。明治以来、幸之助氏を含めて、新しい日本の建設に尽力してきた人が数多くいたが、今ではそういう日本人がいなくなってしまった。これが非常に大切なことなのである。

戦後の占領政策の影響も大きいが、残念ながら日本人は聖徳太子の昔から、「優れた外国のやり方を真似ることが一番安上がり」だと思う傾向があり、それが日本人のDNAにも受け継がれている。そういう思考を、松下幸之助氏は排除したのである。

それゆえ私たちは、松下幸之助氏のような人物の歩みをもう一度たどる必要がある。彼の歩みの中には、幼少の頃に経験した大阪・船場の五代自転車店での奉公を始め、日本独特の歴史と文化がある。それらをふり返り、「日本の歴史と文化はどういうものなのか」を考え直す中で、日本自身のビジョンがみえてくるのではないだろうか。

「日本はもう大国になったのだから、他国の思想や文化を借りて、それを焼き直し続けるべきではない。みずから考え、みずからのやり方をつくり上げることができる日本を築いていかなければならない」ということこそ、幸之助氏が自身の人生を通じて私たちに示したメッセージだと私は思うのである。

それを踏まえて、日本が今後国際社会の中で生きていくには、いったいどうしたらいいのか。日本文化は良くも悪くも世界で非常にユニークな存在であることをまず意識し、そこで日本はどう変わることができるのかを、日本人自身が考えなければならない。そのようなことを、他の国の人はだれも考えてくれはしないからだ。

私自身の考えを述べれば、今日本人は、欧米諸国の借り物ではなく、日本にふさわしい個人主義とは何かを、根本から考え直すべきである。つまり、日本の社会に合った個人主義を、日本人自身がつくり上げるということが一番大事なのであり、それができて初めて、この「セムラーイズム」が役に立つ。

私は、「その場その場で、それぞれの人の知恵が最大限に発揮され、会社全体としては、皆の衆知が生かされる」ことを重視し、会社の発展をめざした点において、幸之助氏は一人の個人主義者だったと思う。また言葉は違っても、セムラー氏がめざしたものもまさしくそれであり、そこに「日本型個人主義」をつくり上げていくための鍵があるのではないだろうか。

あるいは、鎌倉時代以来の武家社会の伝統、すなわち「サムライイズム」に、日本型個人主義の源流を求めてもいいのかもしれない。一般に、武家政権は野蛮だという印象があるが、鎌倉幕府は天皇陛下のお膝元である京都・奈良を押さえはしても、皇室および京都・奈良の文化を潰すことはしなかった。戦のときには、足軽でも手柄を立てれば侍に取り立てられるなど、民主的な側面があった。

いずれにしても「日本型セムラーイズム」とでも呼べるようなスタイルが、間違いなくあるはずだ。今、日本人がそれに気づき、行動すれば、日本はふたたび世界経済のリーダーとして返り咲くことができるだろう。

事実、「セムラーイズム」も、日本的経営システムの長所を批判的に分析し、そこから得た教訓をどう取り入れたらいいかを真剣に検討した、1970〜80年代のアメリカにおける「経営革新運動」の影響を受けて生まれたものである。

21世紀の日本は、過去の「日本的経営」を生かし、それを徹底的に透明化・民主化することによってリインベント(再発明)を行うべきであり、それによって日本は、東アジア初の未来志向のビジョンを提示できると信じる。私はその理論化と提唱を、残された人生をかけて、行なっていきたいと考えている。

(取材・構成 加賀谷貢樹)

岡本 豊 (おかもと・ゆたか)
岡本国際問題研究所所長  

1929年大阪府生まれ。東京大学経済学部および同大学院修了後、’58年に渡米。米国務省通訳などを務め、四半世紀以上を北米で過ごす。日本独自のアジア的民主主義のコンセプトとビジョンを提示することを目標に、岡本国際問題研究所を主宰。主な翻訳書に『セムラーイズム』(新潮社)、『ネオコンの真実』(ポプラ社)などがある。

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