「クリスマスは、サンタさんにプレゼントをもらう日」――ただそれだけではもったいない! その真意は、困っている人、悲しんでいる人と「優しさ」や「愛」をわかちあうこと。戦争の絶えない世で、今こそクリスマスの本当の意味を知ってほしいと、聖心会のシスター鈴木とイエズス会の片柳神父が語りあった。
サンタ・クロースのモデルは...?
【鈴木】クリスマスが近づいてきました。日本人って、クリスマスの本当の意味をわかっていないんじゃないかと思うんです。神父様は幼稚園の子どもたちによくお話をしていらっしゃるとうかがっていますけど、同じように、わかりやすくお話しくださいますか。
【片柳】そうですね。クリスマス(Christmas)というのは、もともと"Christ Mass"、つまり「キリストのミサ」ということで、キリスト教では「イエス・キリストの誕生を祝う日」なのですが、日本では「サンタ・クロースからプレゼントをもらう日」ですよね。私も子どもの頃からずっとそう思っていましたから、仕方ないよなあと思います(笑)。
その「サンタ・クロースの日」と「イエス・キリストの誕生日」に、どんな繋がりがあるのかというと......。実はサンタ・クロースのモデルになったのは、聖ニコラウスという、昔の神父さんなのです。
とっても優しい人で、村を回っているときに、ある家から、「貧しくて食べるものが無い」と子供が泣いているのを聞いて「かわいそうに」と思い、夜、その家に行って、煙突から金貨を投げ込んだという伝説があります。
その伝説に基づいて、「サンタ・クロースがクリスマスの夜に、子供たちにプレゼントをくれる」という話が生まれました。
余談ですが、私たちは「サンタ・クロース」のことを「サンタさん」と言いますが、その呼び方はちょっとおかしいんです。
「サンタ」は、「聖ニコラウス」の「聖」の部分を指す言葉。「クロース」が「ニコラウス」を指します。「サンタさん」だと「聖さん」ということになってしまうので、「本当はクロースさんが正しいのにな」とわたしは思っています(笑)。
サンタ・クロースは困っている人がいたら、「自分とは関係ない」ではなく、「何かしてあげたい」という心を大切にする人でした。それがいわゆる、神さまの愛であり、イエス・キリストに繋がるのだと思います。
【鈴木】人間って、人のために何かができるということが、一番大きな喜びですよね。周りの人のために、何か小さいことでもできることはないか――それが「プレゼント」となって、クリスマスに繋がります。
【片柳】そうですよね。幼稚園だと、「お友達を助けてあげた」とか、「みんなで力を合わせて、とってもいいクリスマスの劇ができた」ということでうれしい気持ちになったら、「そのうれしい気持ちの中にイエス様がいるんだよ」「みんなの中にイエス様が生まれたね」というように説明しているんです。
クリスマスの本当の意味
【鈴木】クリスマスの日、全能な神様が、人間の最も惨めな姿でお生まれになりました。初めての子を馬小屋で産むマリア、かいば桶に寝かされた赤ちゃんのイエス、馬小屋をやっと見つけたヨゼフ。一番寒い日に、光もなく、どこも拒絶して家にも入れてくれない。
人間が最も嫌う「惨めさ」の中でも、マリアやヨゼフに不平不満の気持ちはなく、救い主の誕生の喜びで満たされていました。神様が力のない赤ちゃんの姿で、人間が味わえる最もつらい苦しみを味わいつつも、喜びに満ちていた。
世間的な成功もよいことですが、それをもっと深い、惨めさなどとともに引き受けて、私達を力づけてくれて、「あなたはあなたのままでいい」と励ましてくださっています。
イエス・キリストの生誕を祝うことで、「さあ、そのつらさを助けてあげるから、生き抜いて成長に繋げていきましょう」と励まし合うことが、クリスマスの本当の意味じゃないでしょうか。
【片柳】そうですよね。「イエス・キリストの生誕を祝う」というと「なんで私達が祝わないといけないんだ」と思いがちですけど、それよりも、優しさとか、愛とか、そういうものが生まれる日ということが大切ですね。
【鈴木】今でもよく思い出すお話があって。私がフランスに行ったときに、お友達とクリスマスの話になったんです。彼らは子どものときから、クリスマスが本当に楽しかったんですって。
夜中、教会の御ミサに行くわけですよ。だからそれまで、夕方からお食事をして、クリスマス・ツリーの下にたくさんプレゼントを用意して、その周りで賛美歌を歌って、家族中で楽しく過ごすという話をしてくれて。
教会に行ったら、みんなで感謝とよろこびの祈りを捧げ、真夜中の12時にイエスがお生まれになる、その時を、家族が一体となって待ち望み、喜び迎えるんです。「イエス・キリストの生誕を祝う喜び」とともに、「家族がある喜び」を味わったと話してくれました。そういう伝統のある国っていいなと思います。
【片柳】すてきですね。「クリスマスは、私達の心に愛が生まれる日」――そう考えると、キリスト教のクリスマスと、私達が日本で祝っているクリスマスというのが、繋がるのかなと思うんです。
戦争が起こる世の中で、クリスマスに何を祈るか
【鈴木】クリスマスは、世界中が、平和と喜びのうちに一つになる、稀に見るチャンスでもあります。今年は特に、各地で戦争が起こる中でのクリスマスということになりますから、お互いの幸せを祈るという、クリスマスの意味を、今こそ実践するときではないでしょうか。
【片柳】今、パレスチナの子どもたちが大変な状況にある中で、「私達ばかりクリスマスを祝っていいのかしら」という気持ちを抱かれる方も多いと思います。
その気持ちは、ぜひ大切にしてほしい。まずは、その人たちのことを思い出して「あの人たちも幸せになれますように」とお祈りすることから始めたらいいでしょう。祈ったからといって戦争は止まないかもしれませんが、祈ることで私たちの心にやさしさが生まれるのは間違いありません。
「どうせなにも出来ない」とあきらめて無視するより、ずっとましです。同時に、ユニセフや日赤の募金などに参加してはどうでしょうか。クリスマスのぬくもりや優しさをみんなと分かち合う。そのとき生まれる喜びが、自分自身へのプレゼントになると思います。
【鈴木】「クリスマスには、余っているものをあげるんじゃなくて、身銭を切って、痛い思いをしながら、喜びを他の人にあげるということが大切だ」と聞いたことがあります。
神父様がおっしゃったように、お小遣いを貯めて募金するとか、おやつを買うのをやめて募金をするとか、そういう、ちょっと痛い思いをすることによって、苦しんでいる人との繋がりができていくと思うんです。
自分と切り離された出来事じゃなくて、じかに続いている。些細なことでも自分たちにできることがあると自覚することから始まるんじゃないでしょうか。
一番楽しいクリスマスの思い出
【片柳】私の知り合いの神父さんが子どもの頃に、お小遣いを貯めて、クリスマスの日におもちゃを買いにでかけたそうなんです。そうしたらデパートで、ちょうど「助け合い運動」をやっていて、それを見て、「貧しい人たちがいるのに、自分だけおもちゃを買って楽しんでいいのか」と思ったらしい。
一方で「せっかくお金を貯めて、この日を楽しみにしてきたのに」という思いもあって、すごく迷ったんだけど、根が優しい人だったから、結局、募金したそうです。そうしたら、「募金箱にお金入れるまではすごく苦しかったんだけど、お金を入れたらすごく気持ちよくなって、今でも楽しい」と。
何十年経った今でも、そのときを思い出すと楽しいというんです。おもちゃを買っても、楽しい気持ちはその時だけのものだったかもしれない。けれど、思い切って募金したときの楽しさは、60歳になっても70歳になっても、ずっと続いているという。これはやっぱりすごい「プレゼント」ですよね。
【鈴木】すてきなプレゼントですね。私もアメリカで聞いた話なんですけれど、クリスマスの日、お父さんが子どもにご褒美として、サーカスを見に連れて行ってくれることになったそうです。
切符を買おうと並んでいると、前に貧しい一家が並んでいた。その一家は、懸命に貯めたありったけのお金を持って来たのに、それでも足りないとわかって、しおれていた。そうしたらお父さん、何かをつまみ上げて、「これ落としたんじゃありませんか」と声をかけた。その手に持っていたのは、まとまったお札でした。
あちらのお父さんも驚いて、「いや自分はそんな大きなお金は持っていません」と答えた。「でもあなたの足元に落ちていましたよ、後ろには誰もいないから、あなたの勘違いになります。受け取って、切符を買ったらどうですか」と言って渡した。前に並んでいたお父さんは、子どもの分の切符を買って、サーカスを見に入っていきました。
その姿を見届けたら、お父さんが子どもに「うちに帰ろう」って言った。自分たちが入る分のお金は、なくなっちゃったわけです。子どもも、お父さんが何をしたかがわかっていた。でも帰り道、お父さんと手を繋いで、クリスマスの歌を2人で歌いながら家に帰ったって。
その時の晴れやかな気持ちを思い出して、「あんなに楽しいクリスマスはなかった」とおっしゃっていました。クリスマスの喜びというのは、小さいことでも何か自分が人のためにできるという喜びと、他の人が受け止めてくれることで、そこに人間的な繋がりが生まれるということですよね。
【片柳】まさに、サンタ・クロースの精神ですね。