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前夜に馬場と猪木の密会があった? BI砲が復活した『プロレス 夢のオールスター戦』の舞台裏

櫻井康雄(元東京スポーツ新聞社編集局長) ,Gスピリッツ編集部

2024年08月02日 公開 2024年08月05日 更新

東京スポーツ新聞社創立20周年記念『プロレス 夢のオールスター戦』

1979年8月26日、日本武道館で『プロレス 夢のオールスター戦』が開催された。それはアントニオ猪木率いる新日本プロレス、ジャイアント馬場率いる全日本プロレス、吉原功率いる国際プロレスの主力勢がひとつのリングに終結した前代未聞のスペシャルイベントであり、大会の最大の目玉は犬猿の仲とされていた馬場と猪木、通称「BI砲」の一夜限りの再結成であった。

だが、実現に至るまで外側からは見えないところで虚々実々の駆け引きが展開されていたという。主催者側の責任者として各団体と交渉にあたった元東京スポーツの櫻井康雄氏(※2017年4月10日に逝去)が舞台裏を明かす。 

※本稿は、『Gスピリッツ選集 第一巻 昭和・新日本篇』(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

馬場vs猪木の一騎打ちは実現不可能だったのか? 

――『プロレス 夢のオールスター戦』の開催に向けて、櫻井さんは馬場さんと猪木さんを引き合わせていますね。 

馬場が「猪木に会わせてよ」と言うから、六本木の『梅江大飯店』という中華料理屋にセッティングしてね。その日、新日本は水戸で試合があったから僕が猪木を迎えに行って一緒に深夜に帰ってきたんですけど、馬場はちゃんと待っていてくれましたよ。僕は途中で席を外してね。少し経ってから部屋に戻ったんですけど、殴り合ってるかと思ったら、笑いながら話をしていたから安心しました。ただねえ、マッチメークは互いの駆け引きがあって苦労しましたよ。猪木はできれば馬場とやりたくて。 

――当初、東スポ側は馬場vs猪木の一騎打ちを希望していたそうですが。 

当然、そうです。具体的な交渉もしたんだけども、これは馬場が絶対に「イエス」と言わなかった。猪木は話し合いに応じてもいいという柔軟な姿勢を持っていたんだけど。 

――シングルマッチは無理としても、タッグマッチでのBI対決というのも難しかったんですか? 

難しいねえ。馬場が猪木を信用していなかったから。これはね、リングの上で裏切られても後から「話が違う」とは言えないんですよ。力道山vs木村政彦戦以来、プロレスというのはそうなんだよね。だから、それだけ覚悟を持ってリングに上がらなきゃいけないという。

僕は後年に木村政彦氏を取材した時、本人に言ったこともありますしね。「それを言っちゃいけないんじゃないか」と。だから、BI対決はできない。猪木はやってもいいよと言うけど、これは自信があるから。そこで結局、馬場と猪木がタッグを組むということになって。東スポ側として馬場vs猪木、ジャンボ鶴田vs藤波辰巳(現・辰爾)、アブドーラ・ザ・ブッチャーvsタイガー・ジェット・シンといった具体的な希望のカードをいろいろと出したんですけど、馬場に言わせれば、「そんなカードはダメだよ。話にならない」ということでね。

最初に僕が考えたのは、とにかく対抗戦のシングルマッチ。3団体からトップどころが出てシングルマッチでぶつかるというのがファンの観たいカードなわけだし。結局、マッチメークは馬場と猪木の2人に任せるということになったんです。でも、カード発表の日が迫っても、これが全然まとまらない。

僕と馬場と猪木の3人で何度も会ったりしていたんですけど、どうにもならなくて最後に馬場が言ったんですよ。「櫻井さん、任せるよ。あなたが上手く考えてよ」と。ただし、それまでの“事情”を考慮してということでね。それからは僕がお互いの意見を聞きながらカードをまとめていったんですけど、馬場が新日本vs全日本のシングルを徹底的に拒否したこともあって、ああいうカード編成になったわけです。

 

馬場が櫻井氏に告げた言葉とは? 

――大会当日のメインイベントは、馬場&猪木vsブッチャー&シンというドリームカードでした。オールスター戦が今でも語り継がれている最大の理由は、関係が断絶していたBI砲を再結成させたことに尽きますよね。 

他のカードもそうなんですけど、東スポ側が提案したブッチャーvsシンのシングルも馬場がダメだと。要するに、馬場としては新日本が一気に潰しに掛かるんじゃないかという疑念があったんです。

これはもう時効だから言いますけど、銀座東急ホテルの1階の喫茶室で馬場と2人で会っていた時にね、「櫻井さん、わかるだろ? 俺は木村政彦にはなりたくないよ」と言ったよね。つまり、あの力道山vs木村政彦のことを言っているんですよ。「どんなマッチメークであろうとも俺は猪木を信用できない」ということを暗に僕に言ったわけです。

東スポの紙面で「過去のいきさつ」とか「クリアすべき問題」という言葉が話題になったけれども、それは馬場一流の言い方でね。猪木に対して、具体的な要求はなかったんですよ。猪木と同格扱いとか、そういうこともあまり関係ない。ハッキリ言えば、猪木が潰しに掛かってくるんじゃないかというのが馬場の本音で、それはもう根深いものだったね。

だから、メインはBI対決から馬場&猪木のタッグということになったんだけども、これは東スポが出した妥協案で、もうこれしか話がまとまらないだろうと。 

――当時、東スポの紙面ではBI砲の対戦相手を募集するファン投票をしていましたよね? 

これも今だから話せるけど、あくまでもBI砲の相手はファン投票という形を取るということでね。実際に葉書はたくさん来ました。

ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク)、鶴田&藤波、アンドレ・ザ・ジャイアント&アブドーラ・ザ・ブッチャーとか、いろいろなチームの名前が挙がったよね。でも、当時の感覚でいったらBI砲と鶴田&藤波がぶつかるというのもできないカードなわけですよ。

ブッチャーとシンは両団体のヒールのトップで、ある意味では誰でも知っている大スターでしたし、BI砲と戦わせるなら、この2人が最高じゃないかというのが僕の結論でね。これは絶対に日本武道館が超満員になると。実際に試合も面白かったし、今になって考えてみても、やっぱりブッチャー&シンがベストだよね。 

――あの日、メインの試合が終わった後にリング上で猪木さんが「次は馬場さん、俺と一騎打ちをやろう」と呼び掛けましたよね。あれは完全に猪木さんのフライングだったそうですが。 

あれだけの大観衆の前で言われれば、馬場も「ノー」とは言えないからOKしたよね。それで東スポは、翌年もオールスター戦をやろうと動いたんです。その時は馬場vs猪木戦で行けるかなということでね。実際に交渉に入ったんだけども、結局それはまとまらなかった。 

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